Apple(アップル)創業者のスティーブ・ジョブズとは?経歴と名言まとめ【起業家】

スティーブジョブズ起業家

自分を信じ続け、直感に従ってきた少し独特な彼の波乱万丈な

生き方をご紹介していきます。

スポンサーリンク

ジョブズとは

【人物】

名前:スティーブン・ポール・ジョブズ

出身地:アメリカ カリフォルニア州サンフランシスコ

誕生日:1955年2月24日

好きな音楽:ボブ・ディラン、ビートルズ

愛読書:あるヨギの自叙伝

享年:2011年10月5日(56歳)

生い立ち

シリア人の父アブドゥルファター・ジャンダーリとアメリカ人の母ジョアン・キャロル・シーブルの間に産まれ、シーブルの父親が結婚を認めなかったため、シーブルは生む前から養子に出すことを決めていました。

スティーブを大学に進学させることを約束したうえで、生後すぐに養子に出され、養父母となったポール・ジョブス、クララ・ジョブス夫妻によって育てられました。

実の両親はのちに正式に結婚し、女の子を生み(スティーブの実の妹)、それから離婚しているといいます。

養母がなくなった1986年に生母に再開し、その時初めて妹がいる事を知らされ初対面を果たしました。

一方、実父とは一度も会おうとしませんでした。

父親も息子の成功に便乗していると思われるのを嫌がり、親しい友人にも息子について語ることはなかったといいます。

幼少期

とても手のかかる子供でした。

ヘアピンが電気を通すのを確かめるためコンセントに差し込み感電したり、小学校の時、校内で花火をしたりとエピソードが絶えない少年だったそうです。

初めの転機は4年生で出会った女性教師イモジーン・ヒルとの出会いでした。

ヒル先生はうまくやる気を出させジョブズは促されるまま勉強し、あっという間に成績はあがり6年生への飛び級が決まりました。

後年「ヒル先生やその他の恩師に出会わなければ、間違いなく刑務所に入っていただろう」と語っています。

青年期

スティーブ・ウォズニアックと出会いすぐに意気投合しました。

雑誌に掲載されていた『ブルーボックス』(不正に無料で遠距離へ電話をかけることができる装置)についての記事を読み急いで図書館へ向かいAT&Tの技術資料を探し、それを元にウォズニアックがオリジナルの「ブルーボックス」を作り上げました。

ジョブズは、1台150ドルで学生に対して売さばいたそうです。

最終的に200台余りを売り上げ大きな利益を上げました

後に「ブルーボックスでの商売をした経験がなければ、アップルが誕生することもなかったのは100%確実だ」と語っています。

大学に進学したジョブズはユダヤ・キリスト教・イスラム教・アニミズム・太陽神・思想・坐禅・食事・ヒッピー文化に夢中になり、

裸足で校内を歩き、風呂に入らない時期もあったといいます。

興味のない必修科目を履修することを嫌がり中退します。

この後、哲学やカリグラフィー(西洋書道)など、興味のあるクラスだけを聴講するもぐり学生として18か月を費やしました。

学歴

モンタ・ロマ小学校卒業

クリックテンデン中学校に入学

転校後クパーティーノ中学校卒業

ホームステッド高校卒業

オレゴン州 リード大学に入学

半年後リード大学中退

経歴

【1974年2月】 アタリ社に入社する。

【1976年4月】 「アップルコンピュータ・カンパニー」を

        ウォッズニアック、ロナウド・ウェイン3人で創業し、

        『Apple Ⅰ』を製造する。

【1977年1月】 マイク・マークラーの助けを得て

        新法人として「アップルコンピュータ」を設立する。

        「アップルコンピュータ・カンパニー」を買収する。

        『Apple Ⅱ』を発売する。

【1980年】   「アップルコンピュータ」が株式公開を行う。

【1985年】   当時社長のジョン・スカリーによって会長職以外の仕事を

        剥奪され、新しい会社NeXTを立ち上げるため、辞表を提出する。

【1986年】   NeXTの仕事に並行して、ルーカスフィルムの

       コンピュータ関連部門を買収し、ピクサー社のCEOの座に就く。

【1991年】   ピクサーはディズニーにCGアニメーション映画作成を売り込み、

        3本の劇場用作品の契約を結んだ(うちの1本がトイ・ストーリー)

【1993年】   NeXTのハードウェア部門をキャノンに売却をし、

        ソフトウェア会社と転じ、社名もNeXTソフトウェアへ変更する。

【1996年】   アップルがNeXT社を4憶ドルで買収に合意する。

        次期OSの基盤技術NEXTSTEPを採用すると発表する。

        ジョブズはアップルに非常勤顧問という形で復帰することになる。

【1998年】   iMacを発売する。

        赤字だったアップルを黒字に転換させる。

【2000年】   アップルCEOに就任する。

【2001年】   Mac OS Xを発売する。

        iTunesとiPodにより、音楽事業に参入する。

【2004年】   ディズニーがピクサーを買収し、ディズニーの完全子会社になる。

        ジョブズはディズニーの個人筆頭株主になり、役員に就任する。

【2007年】   iPhone発売する。

【2009年】   治療に専念する為CEOを休職する。

【2011年】   アップルCEOを辞任する。

【2011年10月5日】 iPhone 4Sの正式発表を見届けた翌日に死去する。

インドで学びたいジョブズ

導師を求めインドまで旅をしたいとジョブズは考え、旅費を貯めるため働くことを決心します。

入社後、長髪で風呂に入らず、裸足で歩く、不衛生な姿なのが災いし、一人での夜勤を命じられます。

当時の部長に旅費の援助を頼み、一度退社し、インドへ渡りました。

無事にたどり着きましたが、すぐに赤痢にかかり苦しむことになりました。

放浪の末インドの実態が、想像とあまりにもかけ離れていたため失望しました。

帰ってからサンフランシスコで曹洞宗の禅僧である鈴木俊隆と知野弘文を導師として

「禅」を学び1975年にアタリへ復職します。

Appleの由来

当時ジョブズは果実食主義を実践していたことと、リンゴ農園から帰ってきた、直後だったこともあって、この名前を思いつきました。

響きが楽しげで、元気がよく、威圧感もない!!と考え、更にアタリよりも電話帳で上にくる!として採用したのでした。

アメリカ国家技術賞

革新的で重要な技術の開発に貢献した発明家に対してアメリカ合衆国大統領から授与される賞です。

最初の賞が1985年であり、その第1回目にパーソナルコンピュータの開発に対してジョブズとウォズニアックなどが受賞しています。

ジョブズの結婚

【人物】

名前:ローレン・パウエル・ジョブズ

出身地:アメリカ合衆国・ニュージャージー州

生年月日:1963年11月6日

大学理事長や実業家・教育者・資産家・慈悲活動家として幅広く活躍されています。

【なれそめ】

1990年スタンフォード大学で講義を行っていたジョブズは学生のローレン・パウエルと

出逢いました。講演の後大切なミーティングがあったにもかかわらず彼女と

ディナーに出かけていきました。

1991年に結婚式を挙げ

その年第一子「リード・ポール・ジョブズ」

1995年に第二子「エリン・シエナ・ジョブズ」

1998年に第三子「イヴ・ジョブズ」

三人の子宝に恵まれており、穏やかな生活を送っていたそうです。

ただ、ジョブズにはローレン・パウエルと結婚する前に

別の女性との間に「リサ・ブレナン・ジョブス」が生まれています。

最初は認知をされておらず、思い出等を本に綴っています。

本はジョブズが父親失格だったような内容が多く、これに対して

奥様や娘さんがとても悲しく思っていると明かしています。

ジョブズのユニフォーム

ジョブズのルーティンでよくしられているのが「いつも同じ服を着る」ということです。

ジョブズは三宅一生がデザインした黒のタートルネックとリーバイスのジーンズ、ニューバランスのスニーカーというスタイルで通してきました。

タートルネックに至ってはジョブズの肩や腕の長さを測って作られた特注品でオーダーされた枚数は100枚ともいわれています。

もともとは、日本のソニーの工場を見学したときに従業員が三宅氏のデザインしたジャケットを着ていることに注目し、アップルにもユニフォームが必要だと感じデザインを依頼することになったそうですが、結局アップルではユニフォームが採用されることはなかったそうです。

ジョブズは企業のトップなので、身綺麗にしておく必要があります。

でも、毎朝「今日は何を着て行こう」と悩むのは時間の無駄で、そんな些細なことでも脳へ負担がかかります。

負担がかかるということは「判断力が鈍る」ということを意味します。

なので「服を選ぶ」という「判断」を削除したのです。

ジョブズ流プレゼンで緊張しない方法

10代の時インドで仏教と出会い、大学時代から『禅』と接してきました。

当時カリフォルニア州で渇仰していた曹洞宗の僧侶である乙川弘文師との出会いによってますます『禅』の世界にのめり込んでいきます。

乙川師はNeXTの宗教指導者に任命されました。

ジョブズの結婚式を仏式で執り行ったのも乙川師でした。

一時期、永平寺で修業したいとも語っていたそうです。

ジョブズはプレゼン前に体に覚えこませるよう何度も練習を繰り返し、自信をつける。

『瞑想』で心を落ち着かせることをしていたようです。

プレゼン前は誰しも緊張するものです。

そのため事前準備をしっかりと行い、更にジョブズ独特の『瞑想』によってあの誰もがほしくなるようなプレゼンが行われていたのですね。

ジョブズが語った3つの事

2005年スタンフォード大学卒業式でのスピーチでの内容です。

ジョブズを知る上では、なくてはならないものです。

ジョブズ自ら、人生観を語り、広く感動を集めました。

“ ハングリーであれ。愚か者であれ。 ”

で締めくくられるこのスピーチはこれからの若者に向けてすごく勇気の出る、そして考えさせられる、そんな時間になったのではないでしょうか。

点を繋げる事

点と点のつながりは予測できない。

後で振り返って点の繋がりに気付く。

今やっている事がどこかに繋がると信じてほしい

その点が何処かに繋がると信じていれば自信をもって歩きとおせる。

愛と喪失

30歳で自分が作った会社をクビになった。

人生の中心だったものが消えとても絶望した。

その時は気づかなかったが、Appleからの追放は人生で最も良い出来事だった。

自信は失いましたが最も創造的な人生へ導かれた。

 “時には苦しみに遭うことがあるが自分を見失わないで”

 “毎日を人生最後の日だと思って生きよう。いずれ本当にその日が来る”

その言葉を受けて以来33年間、毎朝鏡の中の自分に問いかけている。

“今日で死ぬとしたら、今日は本当にすべきことをするか?”

その答えが何日も”No”のままなら何かを変える必要があると気付く。

すぐに死ぬという覚悟があれば、重要な決断をするときに大きな自信となる。

 “死はすべての人の終着点であり今後もそうあるべきだ”

 “死は古き者を消し去り新しい者への道を作る”

いずれ君たちも”古き者”となり消えてゆく。

あなたの時間は限られている。

無駄に他人の人生を生きないこと。

他人の雑音で心の声がかき消されないように。

大事なのは自分の直感に従う勇気を持つこと。

ジョブズの食生活

食生活には強いこだわりを持ちます。

大学生時代から菜食主義を貫き、魚介類以外の動物性の食品は一切取らなかったといいます。

また、日本食、中でも蕎麦や寿司を好んだことが知られています。

Apple本社の食堂にジョブズが考案した”刺身そば”というメニューがあります。

Appleに復帰後社員食堂を、自社運営に切り替え、ジョブズ自身がスカウトした料理人が腕を振るっています。

iPhoneと日本のマーケット

世界的大ヒットのiPhoneですが実は日本でのiPhone普及率は世界で1位です。

当初、ソフトバンクが独占的に発売していましたが、時を経て3大キャリアが扱うようになり販売台数はさらに増えました。

実はソフトバンクの孫正義社長はジョブズと古き友人であり、ある日”モバイルインターネットマシーンを作ってほしい”と孫正義さんが訴え、すでに極秘裏で進めていたジョブズを驚かせたそうです。

ここから、独占的販売に話が進んだと言われています。

ジョブズの年俸

1997年にAppleに復帰してからのジョブズの年俸は1ドルだったことは有名な話です。

ギネスブックにも載っているほどです。

しかし、Appleの株を持っていること、ディズニーの株を持っていること。

更に、ボーナスとして航空機をもらっていたりするので、もちろん困ることはありません。

ジョブズの最期

膵臓腫瘍の転移による呼吸停止により、愛する奥様や、親族に看取られながら自宅にて死去されました。

最期の言葉は家族の肩の向こうを見つめながら「Oh, wow」だったそうです。

長年ライバル関係であり、よき友人でも会ったビル・ゲイツ氏をはじめとする業界関係者からもその死を惜しむ声が相次ぎアメリカの前大統領である

バラク・オバマ氏も弔意を表明しています。

建築CADソフトウェアを手掛けるグラフィソフトではグラフィソフトパークはジョブズの魂を追悼するのに最もふさわしい場所だとして銅像を建立しました。

スティーブ・ジョブズ氏の名言

「失敗したとしてもその"経験"だけでも失った物の10倍はあると理解していた」

「成功と失敗の一番の違いは途中で諦めるかどうか」

「偉業は1人では成し得ない。チームによって成し遂げられる」

まとめ

いかがでしょうか。

独特な価値観、人生観を垣間見せるジョブズ氏をまとめてみました。

自分の直感に素直に人生を全うされたのでしょう。

彼がいなければ、iPhoneの誕生もありませんでした。

56歳という若さでこの世を去ってしまったことは残念でたまりません。

まさに21世紀最大の偉人でした。

今後出てくるであろうスピーチ内にもあった”新しき者”の登場も楽しみです。

出版社: 講談社 著者: ウォルター・アイザックソン

コメント

タイトルとURLをコピーしました