この記事は、吹き出しでの会話形式によるビル・ゲイツの解説記事となります。
次の記事:マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツとは?起業してから退任まで【しくじり起業家】
また、この記事の内容はYOUTUBEで解説動画としても投稿しているので、ぜひ見てください!
茶番
あー就活したくないなー
サブスクリプションで毎月20万くらい入ってくるサービス作って家でずっと寝ていたい
・・・はぁ
あ、紗代じゃん
年末気付いたらエントリーできる企業がなくなってた就活生みたいな顔してどうしたの?
マイクロソフトに就職したい
・・・え?
マイクロソフトに内定決まったってインスタでハイパーマウント取りたい
・・・なんでマイクロソフトなの?
ていうかアップルにエントリーシート書くって言ってなかった?
アップル・ジャパンは今新卒採用やってないって言われたの
そ、そうなんだ・・・
でも外資系大手企業に入社してマウント取るって夢をあきらめたわけじゃないから!
だからアップルの対をなす存在のマイクロソフトに入社するの!!
夢が不純過ぎる・・・
マイクロソフトは新卒採用やってるの?
やってるよ!
さすがに今回は調べたよ!
そうか、がんばれー
だからマイクロソフトの創業者について教えて
なんで?
創業者のこと知ってるとエントリーシートや履歴書に志望動機書くの捗るし、採用担当者の心象も良くなるってネットに書いてあったから!!
しょうがないなぁ
じゃあ今回はマイクロソフトと創業者ビル・ゲイツについて解説するね
ういっす!
ビル・ゲイツとは
ビル・ゲイツは1955年アメリカ生まれで、1975年にマイクロソフトを設立
OSやオフィスソフトなど、今日僕たちが当たり前のように使っているプログラムを作ったのがこの人なんだ
彼は2000年にCEO職を退任、2020年には取締役も退任してマイクロソフトから離れ、現在はビル&メリンダ・ゲイツ財団という団体で慈善事業を行っているよ
ちなみに、ビル・ゲイツはアップル創業者のスティーブ・ジョブズと同年代なんだ
え!!
ゲイツさんとジョブズさんって同い年だったの!?
そうなんだよね
今のIT業界を支配してるアップルとマイクロソフト双方の創業者は1955年生まれなんだ
なんか運命的なつながりを感じるね
それじゃあビル・ゲイツの生い立ちから話していくね
ビル・ゲイツの生い立ち
ゲイツは1955年10月28日、アメリカ北西部のワシントン州シアトルで生まれた
お父さんは弁護士、お母さんは地元銀行で役員をしている裕福な家庭で育ったんだ
出生の時点でエリートコースだったのね
小学校の頃のゲイツはふざけていて落ち着きがなくて、お母さんはいつも学校に呼び出されてた
心配した両親が医者にゲイツを診てもらったこともあるんだって
そんなに落ち着きがなかったんだ
でも落ち着きのなさの後ろには、ゲイツは大きな好奇心とチャレンジ精神を持っていることに両親は気づいていった
ゲイツは本を読むのが大好きで、家にあった百科事典や伝記を丸暗記できるほどの天才だったんだ
百科事典を丸暗記!?
百科事典って分からない言葉があったら調べて読むものだよね!?
それくらい好奇心とチャレンジ精神が強かったってことさ
そんなゲイツは12歳になった1967年、シアトルの名門私立レイクサイド校に入学した
コンピュータとの出会い
入学して1年ほど過ぎた頃、レイクサイド校にコンピュータが設置されることになって、これがゲイツとコンピュータが出会うきっかけになったんだ
この頃のコンピュータってものすごく大きくて高価だったんだよね
そんなのが設置できるくらいの名門校だったんだ!
それで生徒たちも設置されたコンピュータを使用できるようになった
最初は物珍しさで多くの生徒が使っていたけど、当時のコンピュータは操作が難しくて結局ゲイツを含む数人しか使わなくなっていったんだ
設置されたコンピュータってそんなに難しかったの?
紗代がイメージしてるコンピュータとは全く違うよ
まずモニターなんてなくて、ASR-33っていう端末から命令言語を打ち込んで、打ち込んだ命令が反映された紙テープを読取装置に読ませて、PDP-10っていうホストコンピュータに送出する仕組みだった
紙テープ??
読込装置??
あー
とりあえずすごく難しかったんだけど、ゲイツはヒマさえあればずっとコンピュータをいじって、あっという間に先生より詳しくなっていったんだ
仕組みはよく分かんないけど、とりあえずゲイツさんが天才なのは分かった
ポール・アレンとの出会い
そんなコンピュータに没頭していたある日、ゲイツはコンピュータ室で、後にマイクロソフト共同創業者になるポール・アレンと出会ったんだ
ポール・アレンさん?
一体どんな人なの?
アレンはゲイツの2歳年上で、ゲイツと同じくらいコンピュータに没頭していた人だよ
この頃ゲイツは、いいプログラム言語を思いつくたびに試さずにはいられず、夜中に学校へ侵入して、真っ暗なコンピュータ室でプログラムを試していたんだ
そんな真っ暗なコンピュータ室には、なんとゲイツだけじゃなくアレンも来ていたんだ
それくらいコンピュータに熱中していた二人はすぐ親友になったよ
ゲイツさんと同じ行動をするくらいコンピュータに熱中していた人なのね
コンピュータ禁止令
でも毎晩コンピュータに熱中したせいで、ゲイツはいくつかの科目で急激に成績が落ちてしまい、ついにお父さんからコンピュータ禁止令が出されてしまったんだ
まぁ両親としては、当時よくわからなかったコンピュータよりも、学業を優先してほしいよね
けど、ゲイツさんちゃんということ聞いたの?
それからゲイツは両親のいいつけを守って、1年半くらいコンピュータから遠ざかって勉強に励んだらしいよ
そうなのね
てっきり両親の言うことを聞かずにコンピュータをいじってると思った
それでも、コンピュータに触りたいという思いは消えなかった
そして1971年、ゲイツは勉強とコンピュータを両立することを両親と約束して、再びコンピュータでプログラムを作っていった
この当時は熟練のプログラマーが足りず、学生でも働かせてくれるところがたくさんあったから、ゲイツはコンピュータに触れて実践する機会には恵まれていたんだ
そしてゲイツは企業の給与計算プログラムを作ったり、学校の時間割を管理するプログラムを作るなどの実績をあげた
さらに、ワシントン州立大学に進学していたアレンと一緒に「トラフォデータ」という名称で交通量分析プログラムを作って売り込んだりと、高校生の頃からビジネスの経験も積んでいったんだ
なんかすごすぎてよく分かんないよ...
ゲイツさんの行動力を100分の1でいいから分けてほしい...
ビル・ゲイツはハーバード大学法学部へ入学、ポール・アレンはワシントン州立大学を中退
ゲイツは両親との約束も守って、勉強もしっかり両立したよ
1973年、大学入試で1,600満点中1,590点を取り、その後無事にハーバード大学へ進学
レイクサイド校でのプログラミングの経験が高く評価されたゲイツは、なんと国から奨学金も貰えることになったんだ
ゲイツさんいいなー
私もそのくらい頭良くなってみたいなー
でもハーバード大学での成績は良くなかったみたいだよ
え、どうして?
ゲイツは数学が得意で応用数学を専攻してたんだけど、ついていけなくなるくらい講義が難しかったんだって
さすがは世界最高峰のハーバード大学って感じだよね
ゲイツさんでも分からないことがあるんだね
なんか安心した
そしてお父さんが弁護士を継いでもらいたかったという理由で法学部に入ったものの、法律にまったく興味がなかったゲイツは講義への興味も薄れていって、2年生になるとポーカーばかりするようになってしまったんだ
日本で言う麻雀にハマる大学生みたいだね
一方相棒のアレンは、ゲイツの大学入学と同じくらいの時期に大学を中退して、ハーバード大学の近くのハネウェルって会社で働いてたから、ゲイツとよく会ってたみたいだよ
アレンさんはどうして大学を中退したの?
プログラミングが全然できない大学生活に嫌気がさして、プログラマーとしてハネウェルで働くようになったらしい
なんかゲイツさんも同じ理由で大学辞めちゃいそう…
お、感がいいじゃん
先に言っちゃうと、ゲイツも大学4年生のときに休学届を出して、そのまま中退してるよ
やっぱり…
ゲイツが中退する話はまた後でするね
アルテア8800の登場
ゲイツがそんなモンモンとした日々を過ごしていた1974年12月、アレンからコンピュータの専門雑誌「ポピュラーエレクトロニクス」にアルテア8800というコンピュータが載っていることを教えられた
今まで誰も想像できなかった小型コンピュータの登場を知らせる記事に、ゲイツは驚愕したんだ
アルテア8800?
なんかどこかで聞いたことあるような…
この前スティーブ・ジョブズについて教えてあげた時に出てきたコンピュータだよ
アップル共同創業者のスティーブ・ウォズニアックがAppleⅠを作るきっかけとなったのも、このアルテア8800なんだ
あーそんなのあったね!
そこでゲイツは、このアルテア8800は大ヒットすると確信し、専用のソフトウェアを作ろうと考えたんだ
アルテア8800を作ったMITS社に売り込もうってね
でも、他のプログラマーも同じことを考えてソフトウェアを持ち込むという懸念があった
さらに、当時まだ学生だったゲイツを、MITS社が相手にしてくれない可能性もある
そこで、ゲイツは一計を案じたんだ
ゲイツさん何したの?
MITS社に電話して、アルテア8800で動くプログラムを持ってるとハッタリをかましたんだ
え、全然プログラム作ってない段階で?
うん
ただし最終調整中だから、完成次第に連絡すると言って時間を稼いだんだ
約束を取り付けたのはいいけど、そのアルテア8800用のプログラムって短期間で作れるものだったの?
いや、数人のプログラマーが数ヶ月かけて作るものだよ
やばいじゃん!
アルテア8800用のプログラム完成、そして納品
ゲイツとアレンは早速プログラム作りに取り掛かったけど、ここで大きな問題が発生した
納期の時点で問題しかないけど、他にも何かあったの?
アルテア8800の実機を用意できなかったんだ
え、それってつまりテストができないってこと?
そういうこと
アルテア8800がない以上、実機でのテストはあきらめるしかない
ゲイツとアレンは、これまで培ってきたコンピュータ理論の知識とプログラミング技術の全てを総動員して作業した
二人はハーバード大学のコンピュータ室で徹夜で作業し、およそ8週間という短期間でプログラムを完成させたんだ
8週間の間、二人は時間を惜しんで作業し、机の上や床へ倒れるように寝ていたよ
8週間…
プログラムの作成期間としては短いのかもしれないけど、8週間ほとんど睡眠を取らずに作業したってことだよね?
こんなに頑張ったなら報われてほしいよ!
ゲイツは大学があるから、代わりにアレンがプログラムを持ってMITS社へ行くことになった
そしてぶっつけ本番だったプログラムは、なんとアルテア8800で全て正常に動いたんだ
ゲイツさんとアレンさんの努力がちゃんと報われたんだね!
ちなみにMITS社へプログラムを持ち込んだプログラマーは50人以上いたけど、みんなうまくいかなかったんだ
だからアレンの持ってきたプログラムもあまり期待されていなかったんだけど、正常に動作したときはMITS社の社長エド・ロバーツはすごく驚いたんだって
50人以上もうまくいってなかったら半ばあきらめるよね
でも逆に、そのくらい難しいプログラムをゲイツさんとアレンさんはやり遂げたってことになるから、社長はそんな優秀な人たち見過ごさなかったでしょ?
もちろん見過ごさなかったよ
ロバーツ社長は、ゲイツとアレンにぜひうちに来てほしいとお願いしたんだ
それで二人はどうしたの?
その後アレンは1975年4月、MITS社に入社したよ
一方ゲイツは学生のままMITS社を手伝うことにして、会社があるアルバカーキとハーバード大学を行き来することになったんだ
ゲイツさんはここでもう大学を辞めちゃうと思ったよ
学業と事業の両立を選んだんだね
マイクロソフトの誕生
そして1975年4月4日、MITS社のあるニューメキシコ州アルバカーキで、ゲイツとアレンはマイクロソフトを立ち上げた
おー、このマイクロソフトもこの時期に立ち上げられたんだー
・・・とされてるけど、立ち上げ時期には諸説あって、1975年4月の時点では会社立ち上げどころかマイクロソフトという名前自体も存在してなかったらしい
マイクロソフトって名前は1975年7月にアレンが考え付いたっていう文献もあるし、1975年10月に書かれたアルテアの広報誌で初めてマイクロソフトっていう名称が出てきたって文献もある
まぁでも、海外の資料を見てもマイクロソフト創業は1975年4月4日っていうのが一般的だし、名称が無くても組織として形ができた時期という点では間違いないから、1975年4月4日創業ってことにしておいていいと思うよ
その辺は曖昧なんだね
まぁね
そしてこの1975年から、マイクロソフトは後にIT業界で"帝国"と比喩されるほどの巨大ソフトウェア企業へと成長していくんだ
て、帝国!?
続く…
次の記事:マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツとは?起業してから退任まで【しくじり起業家】
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