ユニクロ創業者の柳井正とは?経歴と名言まとめ【起業家】

柳井正起業家
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柳井正さんとは

人物

名前:柳井 正(やない ただし)

生年月日:1949年2月7日

出身地:山口県宇部市中央町

趣味:ゴルフ

生い立ち

ファーストリテイリングの前身となる、紳士服小売会社小郡商事社長である父のもとに生まれました。

家の一階が店舗で二階が住まいだったそうです。

3人兄弟で、姉と妹がいます。

子供のころは内向的な性格で、「想像力に身を委ねるのが好きな子供でした。」と語っており、漫画や映画、ファッション、音楽に興味をもっていました。

高校時代はクラスで後ろから5番目くらいの成績だったそうです。

サッカー部に入っていましたが、父に「いい大学に入ってほしい」と言われたためにすぐに退部しました。

数学が苦手だったため、数学が入試科目にない大学の中で最難関の早稲田大学政治経済学部に進学しました。

大学時代

大学入学後は、特に勉強をすることもなく、映画やパチンコ、麻雀でぶらぶらしていました。

大学2年の夏休みから、父の資金援助を受けて世界一周旅行をして、のちに妻となる女性と巡り会います。

そんな柳井氏ですが、単位だけはきちんと取っていたようで4年間で大学を卒業します。

就職活動で大手会社を受けましたが、ことごとく落ちてしまって、大学卒業後しばらくはぶらぶらして過ごしていました。

経歴

1971年 ジャスコ(現:イオンリテール)入社

1972年 小郡商事株式会社(現:ファーストリテイリング)入社

1984年 小郡商事株式会社 取締役社長就任

     広島にユニクロ1号店オープン

1991年 社名をファーストリテイリングに変更

2001年 ソフトバンクグループ社外取締役 就任

2002年 ファーストリテイリング代表取締役会長兼最高経営責任者(CEO) 就任

2005年 ファーストリテイリング取締役社長 就任

     グループ会社会長兼務

2006年 ジーユーブランド(g.u) 設立

2008年 GOVリテイリング(現:ジーユー(GU))取締役会長主任

わずか9か月で退職

大学卒業後、父の勧めでジャスコ(現:イオンリテール)の家庭雑貨売り場で働きますが、学生気分が抜けず「こんなことをしていていいのだろうか。」と嫌々働くようになり、わずか9か月で退職しています。

ジャスコでは、会社や従業員がとても真面目で一生懸命働いていましたが、柳井氏はどうしてもそこで仕事の意欲が持てなかったそうです。

学生時代から、仕事をしないで一生暮らせる方法はないかと考えていた柳井氏は、目標のないまま働くことが嫌になってしまいました。

退職してからしばらくは友人の家で気ままに過ごしましたが、朝から出勤していく友人とぶらぶらしている自分を比べてしまい、憂鬱になって山口の実家に戻ることになりました。

小郡商事へ入社

その後24歳で父が経営する小郡商事(現:ファーストリテイリング)へ入社しました。

当時、小郡商事は紳士服を主に販売していました。

当時の従業員はジャスコの従業員と比べて、効率が悪く真面目に働いていないと感じたので、柳井氏は思ったことをはっきりと言ったそうです。

のちに、従業員がみんな辞めてしまいました。

従業員が辞めてしまったことに対して「僕は内向的なのだけど、言いたいことはズバっとはっきり言ってしまい、色々言いすぎてしまったからだと思う。」と柳井氏は述べており、現場の人間に対して気持ちまで考えてあげられなかったと反省しています。

従業員が辞めてしまったことで、仕入れ・販売・経理・人事など業務全てを一人でやらないといけない状況になりました。

最初は「すべて一人で行って、経営していくなんて無理だ」と思っていた柳井氏ですが、実際やってみると案外楽しいと思うようになり、徐々に経営者としての自覚が芽生えてきました。

ユニクロができるまで

経営の面白さに目覚めた柳井氏は、朝から晩まで無我夢中で働きました。

父から会社の実印も渡されていたので、なんとか父の店を潰さないようにと必死でした。

一日中働いたあと、家に帰ってからも仕事をするようになり、食事の時間以外はすべて仕事をしていたそうです。

都会と違い、山口県という地方にはなかなか優秀な人材が集まらなかったそうで、しばらくは一人で仕事をこなし続けました。

そんな中、洋服の青山やアオキなど郊外型紳士服店が徐々に業績を拡大するようになります。

後発を避けるため、柳井氏は日常的でカジュアルな衣装に着目しました。

良いものを安価で販売すれば品物はきっと売れると考え、カジュアルで低価格な衣類の販売店全国展開を目指すようになりました。

カジュアルなら紳士服のように接客を必要とせず、物がよければ売れる点が自分の性格に合っていると考えたからだそうです。

ユニクロ1号店オープン

柳井氏は、1984年に父の後をうけ小郡商事社長に就任しました。

「独自(ユニーク)な衣装(クローズ)」を販売するということで、「ユニーク・クロージング・ウェアハウス(略称:ユニクロ)」として、広島に1号店をオープンさせました。

ユニクロでは当初、有名ブランドを安価で販売するショップで、ユニクロで買い物をすることは恥ずかしいという認識を持たれていました。

そこで、柳井氏はユニクロオリジナル商品の開発を進めました。

その後中国地方を中心に事業を展開させ、1994年に広島証券取引所に株式を上場させます。

日本ではバブルが崩壊して不景気が続きますが、ユニクロはフリースやヒートテックなど機能性商品を開発して、安くてもセンスのいいユニクロの製品は不況時でも変わらず売れ続けました。

ファーストリテイリングへ社名変更

1991年に社名を小郡商事からファーストリテイリングに変更し、代表取締役会長兼最高責任者(CEO)に就任します。

ファーストリテイリングはファスト(素早く)とリテイリング(小売業)を組み合わせた造語で、ファストフードのように素早く商品を提供できるファストファッションを目指してこの社名に変更されました。

企業理念として「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」を掲げています。

低価格ながらも、機能性にこだわり独自の高い技術で、日本だけではなく海外でも高い評価を受けることになります。

GUブランド設立

ユニクロというブランドを確立させた後、2006年にはダイエーとの業務提携をして、「ユニクロのノウハウを生かしつつ、ユニクロより低単価なカジュアルブランド」である「ジーユー(g.u)」を立ち上げました。

「もっと『自由』に着よう」というコンセプトで、20代後半から30代前半の若いファミリーをターゲットに展開していきました。

のちに、株式会社ワンゾーン(旧社名:靴のマルトミ)と株式会社ビューカンパニーの2社と事業統合し、2008年に株式会社GOVリテイリングが誕生し、柳井氏は取締役会長に就任しました。

その後GOVリテイリングは株式会社ジーユーとなり、2013年にはロゴマークを「g.u.」から現在の「GU」へと変更し、今ではしまむらと並んで低価格ファストファッションブランドとして確立しています。

ユニクロの海外進出

柳井氏は積極的に海外進出をし、2001年に海外第一号店をイギリスロンドンに出店しました。以降、中国・韓国・アメリカ・フランス・ロシア・タイなどでユニクロを出店させます。

ユニクロ事業全体の約45%は海外店舗の売上だそうです。

また、アメリカやフランスのブランドを次々と買収し、海外事業を拡大していきます。

特に中国での事業に力を入れており、2006年から中国進出をはかり現在ではなんと738店舗もの支店を展開しています。

上海や北京などの大都市だけではなく、中小都市であっても見かけますし、中国版Amazonとも言われている淘宝網(タオパオ)にも出店しており、中国ではおしゃれな海外のブランドとして人気と知名度があるようです。

柳井正さんの結婚と家族

柳井氏は大学時代に世界一周旅行をしていた時に出会った照代さんと結婚します。

照代さんは通訳の仕事をしており、若いころは照代さんの稼ぎのほうが高かったそうです。

子供は2人いて、どちらも男性です。

柳井氏は「息子にユニクロの経営を任せる気はない。同族経営はよくない。」と語っており、「会長や副会長みたいなことをしてもらったらと考えている」と述べています。

長男の一海さんは、アメリカボストン大学にてMBAを取得し卒業後、ゴールドマン・サックスを経てアパレル会社のセオリーに入社しました。

ファーストリテイリングがセオリーを買収して、その後一海さんはファーストリテイリングの執行役員に就任しています。

次男の康治さんは、横浜市立大学を卒業後三菱商事に入社しました。

イギリス駐在を経験し、その後ファーストリテイリングに入社しています。

のちに二人ともファーストリテイリングの取締役に就任しています。

柳井氏の自宅は渋谷区にある役2600坪の豪邸で、周辺には安倍首相や楽天の三木谷社長の自宅があるそうです。

敷地には、趣味であるゴルフの練習場やテニスコートもあり、お酒や会食の嫌いな柳井氏は自宅でほぼ毎日奥様の手料理を食べているようです。

ブラック企業と呼ばれたユニクロ

かつてユニクロはハードな業務内容で、離職率が高い企業として有名でした。

3年で5割、5年で8割超という異常な離職率の高さでした。

これには、柳井氏独自の経営観が関係しているようです。

柳井氏は、「若い社員に海外に行けと言うのは、本当の意味で経営者になってほしいから。それができないのであれば、単純労働と同じ賃金になってしまう。」「若者が活躍できる社会になれば、25歳以上は全員対等に評価すべき。25歳くらいまでに基本的な考え方を決め、35歳くらいまでに執行役員になり、45歳くらいでCEOになるのが正常な姿だと思っている」と語っています。

「若いころに甘やかされてはいけない」とも述べており、自分にも他人にも厳しい性格だからこそ、負担に思う社員が多かったのかもしれません。

賃金面においても、「世界どこでもやる仕事が同じだったら、同じ賃金にするのが基本的な考え方。」と述べており、グローバル化に急いで対応しようとして社員に対する要求水準が高くなってしまったり、店長を育てるにしても急ぎすぎたりしたことに反省しているようです。

柳井氏にとって一番辛いことは社員が辞めることだそうで、自分は経営者失格だと落ち込んでしまうそうです。

徐々にグローバル化に対応し、労働環境が整ってきたことでのちに離職率も下がり、以前より働きやすい環境であるとしてブラック企業を脱却しました。

韓国での不買運動

2019年日韓関係が悪化し、韓国で日本製品の不買運動が起こりました。

日本企業であるユニクロも、不買運動の直撃を受けました。

決算短信によれば、売上高が従来見通し600億円減となってしまったそうです。

いくつかの店舗は閉店に追い込まれてしまいました。

ですが、2019年初冬に商品購入者に向けてヒートテックの無料配布の施策が打ち出され、ユニクロに長蛇の列が出来上がりました。

ユニクロは機能性に優れているため、不買運動の中でもヒートテックやウルトラダウンを求めて買い物にくる客も徐々に増え、夏よりは売上も増えたそうです。

ユニクロの現在

ユニクロは常に、カシミヤやウルトラライトダウンなど新商品を販売し、進化を続けています。

ユニクロは2019年11月現在、国内にフランチャイズを合わせ817店舗、海外では様々な国と地域で1432店舗展開しています。

ジーユー事業も438店舗あり、すべての事業を合わせると3,666店舗にまでのぼります。

始めは山口県の小さな紳士服小売店だった会社が世界最大規模の会社になりました。

2020年に横浜・原宿・銀座にこれまでのユニクロをさらに進化させた店舗をオープン予定です。

「LifeWear」を体現した、あらゆるライフスタイルのニーズを満たす完璧な服作りを目指す事業展開です。

横浜店では滑り台やジャングルジムで遊べる、まるで公園のような店舗が展開され、原宿店では、着こなし発見アプリを使ったお買い物体験やコラボグッズを発信し、銀座店では、オトナの街にふさわしく上質でコンフォートな空間から世界最新のユニクロがオープンします。

柳井正さんの名言

「失敗を恐れてはいけない。失敗にこそ成功の芽は潜んでいる」

「十回新しいことを始めれば九回は失敗する」

「商売の基本は『スピード』と『実行』」

「向き不向きは関係ない。まずは、方向を決めよ」

アパレル業界の常識を変えた柳井正さんとは

仕事をせずに遊んで暮らしたいと考えていた青年が、経営の楽しさに気付き、誰もが知るユニクロというブランドを確立させました。

カジュアルで良いものを作りたいという信念をずっと曲げずに、自分の思った通りに行動することができる柳井氏だからこそ、ここまでの成功を収めたのかもしれません。

韓国不買運動や新型コロナウイルスの影響で不況ではありますが、ユニクロは私たちの生活にとって大きくて欠かせないものです。

今後もさらに、新商品や店舗展開でユニクロの進化を続けていくことが期待されます。

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