スターバックス創業者のハワード・シュルツとは?経歴と名言まとめ【起業家】

ハワード・シュルツ起業家

現在のスターバックスの事実上の創業者であるハワード・シュルツ氏をご紹介していきます。

今や押しも押されぬ世界中で人気店となったスターバックスですが、ここに来るまでのエピソードも併せてご紹介していきます。

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ハワード・シュルツ氏とは

名前:ハワード・シュルツ

誕生日:1953年7月19日

生い立ち

シュルツ氏はニューヨーク・ブルックリン生まれで、両親はユダヤ系ドイツ人移民のアメリカ人であり、退役軍人の子として生まれました。

幼い頃は苦しい生活の中で補助も保障もない厳しい労働環境の中で働く両親の背中を見て育ちました。

父親は第二次世界大戦後に退役し、トラックやタクシーの運転で生計を立てて、家族を養っていました。

長男ということもあり、シュルツ氏は家計を助けるために12歳で新聞配達や軽食堂で働き、16歳で授業が終わると毛皮加工工場で働いていました。

アメリカンフットボールの特待生としてノーザン・ミシガン大学に進学し、コミュニケーション学を学びます。

シュルツ氏は大学卒業後、ゼロックス社やハマープラスト社で次々に昇進していきました。

ハマープラスト社のクライアントである、スターバックスを仕事で訪れたことがすべての始まりでした。

当時、コーヒー豆、紅茶、スパイスを販売していたスターバックスにマーケティング・ディレクターとして転職しました。

経歴

1982年 スターバックス社入社

1985年 スターバックス社退社

1986年 イル・ジョルナーレ社創立

1987年 スターバックスの店舗と商標を購入

同年  イル・ジョルナーレ社をスターバックスコーポレーションに改称

2000年 スターバックスCEO退任

2008年 スターバックスCEO復帰

2017年 スターバックス会長兼CEO CEOを退任し会長職には留まる

2018年 スターバックス会長を辞任

イル・ジョルナーレ社設立からスターバックスのCEOになるまで

マーケティング・ディレクターとして転職を果たし、ここでも手腕を発揮していたシュルツ氏でしたが、経営陣との方向性の違いからわずか3年で退職しています。

シュルツ氏はただのコーヒー豆販売ではなく、人が集まって飲食ができるカフェを作りたかったのです。

その情熱に惚れ込んだ地元の投資家からの資金援助を受け、コーヒーとアイスクリームを提供するカフェである、イル・ジョルナーレ社を創業しました。

このお店はシュルツ氏がスターバックス時代に出張で訪れたミラノの街で見かけたエスプレッソバーに影響を受けたと言われています。

当時のお店のBGMにオペラを流すなどイタリア色の強い戦略で人気を博し、店舗数を増やしていきました。

その後、スターバックスは売りに出され、シュルツ氏が380万ドル(当時約4億5000万)で買収してイル・ジョルナーレをスターバックスに統合させました。

スターバックスはサードプレイス

サードプレイスというコンセプトをいち早く取り入れたのがスターバックスでした。

ただコーヒーを飲む場所を提供するだけでなく、「くつろげる空間を提供」したのです。

シュルツ氏が目標として掲げたのがクオリティの高いコーヒーの提供と、人と人のつながりを大切にできる空間を提供することでした。

そんな中スターバックスは3つの方針を打ち出しました。

「滞在時間に制限は設けない」「全てのお客様に満足してもらう環境作り」「サードプレイスとして選択してもらえるよう努力し続ける」でした。

シュルツ氏はこの3つの方針を頑なに守り、顧客との良好な関係を築いていったのです。

現在のスターバックスがあるのは、サードプレイスをどうしても提供したいというシュルツ氏の強い思いがあったからこそです。

スターバックスの危機

2000年にシュルツ氏はCEOを一度退任しました。

1992年からスターバックスの成長は加速し、年平均成長率は49%に達していたそうです。

後任にCEOを譲った後も会社は安泰かと思われていました。

しかし、後任の経営陣が“成長”に取りつかれてしまい、無理な出店計画を繰り返し、その結果いろいろなところに歪みが出始めました。

人材不足や、クオリティの低下を招き、売上を得ようと企業ポリシーを曲げてまで商品開発が行われました。

コーヒーの香りを台無しにするチーズの匂いが店に充満し、スターバックスと関係もないぬいぐるみが店に並びました。

ここで創業以来、初めて客足が鈍り始めました

売上高は前年を割り、株価は一時期、最盛期から81%も落としてしまいました。

シュルツ氏は経営陣に危機を嘆くメモを送りましたが、それが社外にリークされてしまいメディアも巻き込んだ大騒動に発展してしまいます。

そんな大混乱の中2008年にシュルツ氏はCEOに復帰します。

誰もがブランドの復活は不可能だというほどに、スターバックスのブランドは傷つけられた状態でした。

CEOに復帰したその年に全米7,100店あった全店舗を一時的に閉鎖して、全バリスタのエスプレッソ作りの再教育を行いました。

数百万ドルの損失が出ましたが、シュルツ氏はそれでも断行しました。

「損失を出してでも、自分たちの存在意義を守らなければならなかった。こんな時こそ本当に何が大事で、何が必要か見極めなければならない。」

「リーダーにとって一番大事なのは状況がどうであるかということに関して正直で忠実で透明で自信を持っていることである。」

とシュルツ氏は語っています。

その後もさらに改革は続いていきます。

コーヒーの香りを妨げる商品は全て廃止して、新商品として新ブレンドを発売、コーヒーマシン改良の為の企業買収など、その他にも従業員の声に耳を傾けて、新たな行動指針も作り上げました。

しかし、それでも復活にはまだ足りなかったそうです。

そこで最後の決断として、約600店舗を閉鎖して約1,800人を解雇しました。

人を何よりも大切にしてきたシュルツ氏にとって、この大きな決断は心に相当な痛みを伴いました。

「痛みは永遠に取り除くことはできない。父親の受けた仕打ちを忘れたことが無かった私にできることは同じ過ちを二度と繰り返さないこと。」とシュルツ氏は語っています。

ここで転機があり、ハリケーンによって大きな被害を受けたニューオリンズでの大規模な復興支援として、3,000万ドルを超える予算の元1万人以上が集結するリーダー会議を行いました。

その会議でスターバックスは何を目指しているのか、他の企業と何が違うのか、改めて価値を分かち合い集まったリーダーたちに会社を愛する強い思いが再び湧き上がってきました。

「ブランドは愛されなければならない。まず従業員が会社を愛していないと始まらない。それが大きな力を生み出す。」と語っています。

その後スターバックスは2年で驚くほどのV字回復を見せます。

2011年9月期の売上高は120憶ドルと過去最高の記録を生み出しました。

誰もが不可能だと考えたことを、シュルツ氏は成し遂げたということです。

日本でのスターバックス

1992年に新東京国際空港第2ターミナルの制限区域内のフードコート内の店舗として開業しましたがわずか9か月ほどで撤退しています。

その後1995年に株式会社サザンビーがスターバックスとの合併にて、スターバックスコーヒージャパン株式会社を設立します。

1996年銀座に日本1号店を出店しました。

当時の日本の喫茶店としては珍しく、店内を全面禁煙していたことも特徴です。

喫煙者の為に屋外のオープンテラスは喫煙可能としていました。

その独特のコーヒー文化はあっという間に浸透して、店舗数900店舗超、売上1,000億円という巨大コーヒーチェーンに成長しました。

2014年スターバックスはスターバックスコーヒージャパンを完全子会社にすることを発表しました。

日本における合併相手のサザンビーは、保有するスターバックスコーヒージャパン株式の全部につき、公開買付けに応じることに合意しました。

さらにサザンビー保有株をスターバックス傘下のSolar Japan Holdings合同会社が取得しスターバックスコーヒージャパンはスターバックスの子会社となりました。

現在のスターバックス

シュルツ氏は2016年12月にCEO退任するということ、正式な交代は2017年4月3日に実施と発表しました。

会長職は続けるようで、当時開発中のハイエンドショップ「Starbucks Reserve Roasteries」プロジェクトに専念するということでした。

後任CEOには社長兼COOであったケビン・ジョンソン氏が就任しました。

シュルツ氏は「スターバックスの小売り改革の次の波に集中するに当たり、7年間取締役を務め過去2年間は社長として私のパートナーを務めてくれたケビン・ジョンソンがCEOに就任してくれることをうれしく思う。これによってスターバックスのコア事業は今後も世界で成長を続ける。」と語りました。

ジョンソン氏は「彼から多くのことを学んだ。彼はビジネスパーソンにとって、アイコン的な存在だ。僕らの世代にとっては特にね。」と語っています。

ジョンソン氏は2009年にシュルツ氏に誘われてスターバックスに入社しました。

2015年からCOOとなり、シュルツ氏と二人三脚でスターバックスをリードしてきました。

ジョンソン氏は「私は戦略を立てる人間の1人だ。戦略の中には我々が社会的にインパクトを与え得る課題も含まれる。」とも語っています。

これからのスターバックスにも大注目です。

ハワード・シュルツ氏の日課

シュルツ氏は朝4時30分には起きるそうです。

「朝のちょっとした投資はその日の全部に影響を与える。」と語っています。

そこからエクササイズで体を動かし、通信機器の電源を切って家族と決まった時間に健康的な朝食をゆっくりととるようです。

あとは1日の目標、スケジュールを立て、瞑想をするというルーティンワークを行っています。

シュルツ氏だけではなく、世界的な成功者には早起きをして、朝の時間を大切にする人が多いようです。

ハワード・シュルツ氏の名言

「私たちは空腹を満たす仕事をしているのではない。魂を満たす仕事をしているのだ。」

「人生はニアミスの連続だといってもいい。我々が幸運とみなしていることは実は単なる幸運ではないのだ。幸運とはチャンスを逃さず、自分の将来に責任を持つことに他ならない。他の人たちには見えないことに目を凝らし、誰が何と言おうと自分の夢を追い続ける事なのである。」

“Don’t be threatened by people smarter then you.”

「自分より賢い人に脅かされるなかれ。」

“Care more than others think wise. Risk more than others think safe. Dream more than others think practical. Expect more than others think possible."

「他の人が賢明だと思う以上に注意しろ。他の人が安全だと思う以上にリスクを冒せ。他の人が現実的だと思う以上に夢を見ろ。他の人が可能だと思う以上に期待しろ。」

ハワード・シュルツ氏の人柄

シュルツ氏は自分が育ったアパートに娘を連れて行ったとき、彼女は荒れ果てた建物を見て、どうやってこんなところで、グレもせず育ったのかとビックリしたそうです。

しかし、シュルツ氏にとってブルックリンで育った経験こそが、ほとんどすべての人と言っていいくらい、誰とでも良い関係を結べる人間にシュルツ氏を育て上げたのでした。

シュルツ氏は少しブルックリン訛りの言葉で話し、イタリア料理を好み、どんな人達にも敬意を払います。

自分がどこの出身かということを忘れず、富をひけらかすことも決してしません。

「その日暮らしをする人たちに囲まれて育ちました。望みもなく休む暇もない人たちでした。その経験を私は決して忘れません。決して、です。」と語っています。

母親はアメリカンドリームを信じ「アメリカでは自分がやりたいことは何でもできるのだ。」とシュルツ氏に言い続けていたといいます。

一方で父親とのこんなエピソードがあります。

シュルツ氏が7歳の頃、アパートの近くで雪合戦をして遊んでいた時、お母さんからお父さんが仕事中に事故にあったということを聞きました。

家に戻ると片足をギプスで固定された父親がソファに横たわっていたそうです。

仕事中に氷の上で転び、足首を骨折したということで、その結果職を失い、健康保険の権利も喪失してしまいました。

アメリカンドリームは音を立てて崩れ、絶望に打ちひしがれたとシュルツ氏は語っています。

その出来事で、シュルツ氏は父親のようにはならないと誓いました。

シュルツ氏が夢見たのは、「父が誇りをもって働ける会社」で、従業員を大切にし、健康保険を提供できる会社づくりでした。

スターバックスのパートタイマーにまで適用範囲を広げた福利厚生は有名な話です。

シュルツ氏が人生で経験してきたもの、感じてきたものはスターバックスで生かされ、従業員やその家族を幸せにしています。

そんなシュルツ氏だからこその人生経験がスターバックスを世界の代表的なコーヒーショップに築き上げる動機になったのです。

出版社: 日経BP 著者: ドリー・ジョーンズ・ヤング, ハワード・シュルツ

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