ジェフ・ベゾスとは
人物
名前:ジェフリー・プレストン・ベゾス
出生名:ジェフリー・プレストン・ジョーゲンセン
誕生日:1964年1月12日
国籍:アメリカ合衆国
生い立ち
バイクショップのオーナーだった父と高校生で17歳だった母のもとに産まれました。
しばらくして、父と母は離婚し、母は再婚し、姓もその時に改め「べゾス」となりました。
幼少期
科学やテクノロジーに興味を示しました。
工作なども得意で、大人が使うベッドで寝たいという思いから、ねじ回しを使いベビーベッドをバラバラにしたこともあるそうです。
更に自分で作った電器アラームを使って自分の部屋に兄弟を入れないようにしたり、理科の実習のために車庫を改造して実験室にしました。
学校で「人類の未来は、この惑星にはない。」と教師に語り、宇宙起業家になることを夢見ていました。
高校時代
入学直後に僕は卒業生総代になる!と宣言します。
当時フロリダ大学で行われた化学の生徒研修プログラムにも参加しています。
ベゾス氏は見事卒業生総代を務め、優秀な生徒に贈られる奨学金や表彰制度のナショナル・メリット・スカラーシップ、シルバー・ナイト賞を獲得しています。
高校卒業前の夏休みに自分でサマースクールを立ち上ました。
この頃から新しいことへのチャレンジ精神や商売への興味を持っていたようです。
高校時代はマクドナルドで働き、調理を担当していました。
大学時代
成績は優秀でしたが友達は少なく、オタク青年だったようです。
電気工学と計算機科学で学位を取得しました。
ベゾス氏は全米最古の学生クラブ、ファイ・ベータ・カッパのメンバーでもあり、優秀な工学徒としてタウ・ベータ・パイにも選出され宇宙探査・開発のための学生組織のプリンストン支部長にもなっています。
夏休みにはExxon MobilやIBMでアルバイトしており、プログラマーとしての能力を高く評価されました。卒業後はIntelやベル研究所などの有名企業から勧誘されましたが今後企業することも念頭に置いていたベゾス氏は社会の仕組みを勉強するため新興企業Fitelへの就職を決めます。
経歴
マイアミ・パルメット高校
プリンストン大学卒業
1986年 Fitel入社
1988年 バンカース・トラスト入社
1990年 D.E.ショー入社
1995年 Amazon企業
1997年 Amazon株式公開
2000年 ブルーオリジン設立
2013年 ナッシュホールディングス設立
ワシントンポストを買収
祖父の影響
アメリカ原子力委員会の地方局長をしていた人物です。
早くにその職を辞して家族で経営する牧場の仕事を始めました。
ベゾス氏は小さいころよく夏をこの牧場で過ごしました。
更にキャンピングトレーラーの所有者が集まって旅をして回ろうというサークル、キャラバンクラブのメンバーであり、ベゾス氏も一緒に旅に出かけたそうです。
ベゾス氏が10歳くらいのある夏のキャラバンで、ベゾス氏は後部座席に座りながら、外に見える数字、例えばガソリンスタンドのマイレージだとか、さっき買った食料品の合計金額、自動車の燃料などを推算するのが好きでした。
ベゾス氏の祖母は煙草を吸うのが好きで、その日も車の中で吸っていました。
その時煙草を一口吸うたび寿命が2分縮まるというフレーズを思い出し、祖母のために、煙草によってどれだけの寿命が縮まるかを計算し、見事に答えを導き出します。
自信満々に祖母に「煙草を吸うと一口に2分寿命が縮まるんだ。だからおばあちゃんの寿命は9年も縮まっていることになるんだ。」と告げました。
ベゾス氏はただ、そんな難しい問題も解けるのかと褒めてほしかっただけでしたが、祖母は突然泣き出してしまいました。
ベゾス氏はどうしていいかわからず黙ってしまい、ずっと黙って運転していた祖父が車を停め、ベゾス氏に外についてくるように言いました。
祖父は優しく穏やかに「いつかわかる日が来ると思うが、賢くなるよりも優しくなるほうがはるかに難しいことなのだ。」と教えられ、ベゾス氏の心に長い間残り続けます。
ベゾス氏は知的探求への情熱を傾けることに一役買った。と後に語っています。
どの会社でも出世してしまう
1社目のFitelは金融企業のコンピュータをネットワークで繋ぎ、株取引を行えるようにするという当時新しい試みをしていた会社でした。1年もたたないうちにNo.2になり、23歳という若さで10数人のプログラマーを統括していました。
2年で辞め、2社目のバンカース・トラストに転職しました。
ここでも10か月後には26歳で副社長に就任しました。
そこも2年ほどで辞め、創立して間もないD.Eショーにスカウトされ2年後には上級副社長に抜擢され、コンピュータネットワークの開発責任者になります。
D.Eショーは世界8位の巨大ヘッジファンドとなっています。
1994年に今皆さんが使っている「www(World Wide Web)」の利用率が1年で2300%も成長したことを知ったベゾス氏はこのチャンスを逃したら一生後悔すると考え、妻のマッケンジー氏に相談すると、「やってみたらいいわ」とベゾス氏を後押しし、上級副社長という地位がありながら退職することを決めました。
ジェフ・ベゾスの結婚
【人物】
名前:マッケンジー・ベゾス
誕生日:1970年4月7日
プリンストン大学で英文学を専攻し、卒業後小説家を目指しながら、生活費を稼ぐためにヘッドファンドのD.Eショーに入社し、そこでベゾス氏に出会います。
二人はオフィスが隣同士で壁越しに聞こえるベゾス氏の笑い声に魅了されたそうです。
ベゾス氏がランチに誘ったことがきっかけで、交際に発展し、3か月で婚約、1993年に結婚しました。
ベゾス氏はマッケンジー氏の事を「機知に富み、賢く、聡明でホットな女性だ。」と話していました。
夫妻には息子が3人、娘が1人います。
娘さんについては中国から養子を迎えたそうです。
ですが2019年に離婚を発表しました。
離婚の原因は定かではありませんが、社会貢献に対する価値観の違いや、べゾス氏の不倫が原因という見解が多いようです。
世界一の富豪の離婚ということもあり財産分与問題には多くの人が注目しました。
マッケンジー氏に譲渡されたAmazon株約4%は350憶ドル相当です。女性としては世界で3位の富豪という位置づけになります。
ベゾス氏との離婚調停が進む中でマッケンジー氏は慈悲運動「ギビング・プレッジ」への参加を表明し、保有資産の半分を慈悲事業に寄付すると発表しました。
マッケンジー氏は慈悲活動に対してアプローチを続けていく。慈悲活動には時間、努力、気遣いが求められる。と述べています。
一方、ベゾス氏はギビング・プレッジへの署名はしていません。
マッケンジー氏の寄付表明はベゾスの考えとは対照的でこういったところも離婚の原因と考えられているようです。
アマゾンの立ち上げ
結婚後、1年ほどたった頃、夫妻で仕事を辞め、シアトル近郊に引っ越しました。
全ての貯金と両親、親戚、友人から借りたお金を投じ、家の小さなガレージでCadabra,Incという会社名で法人として登記しました。しかし数か月後にある弁護士が「Cadabra」を「cadaver(死体)」と聞き間違えた出来事をきっかけに社名を「Amazon.com,Inc」に変更しました。
変更する際辞書を引いて言葉を探しました。
「アマゾン」という単語を選んだのはアマゾンがエキゾチックで変わった場所であり、自身の事業イメージと合致していた為といわれます。
アマゾン川は世界最大の河川であり、ベゾス氏の計画も、オンラインストアを世界最大の商店にすることでした。
それに加えて、アルファベット順で一番上にくる「A」始まりの名称が良いという事も決定理由の一つでした。
まずオンラインで販売できる20種類の商品リストを作り、有望と思われるコンパクトディスク、コンピュータハードウェア、ビデオ、コンピュータソフトウェア、そして書籍、5種類をピックアップし、リストに絞り込みました。
最終的に文学への大きな世界的需要、書籍は低価格であること膨大なタイトルが出版されていることなどを考慮し、事業をオンライン書籍にすることを決めました。
当時マッケンジー氏は経理や配送などの仕事をサポートしていました。
ベゾス氏が事業を成功させた背景にはマッケンジー氏の存在は大きかったようで、ベゾス氏は「私たちが一緒に行ったすべての仕事でマッケンジーの能力は大いに発揮されていた。彼女は類まれなパートナーであり、同士であり、母親だった。」と語っています。
サービス開始後の2ヶ月でアメリカの50の州すべてと世界の45か国以上で書籍を売り上げました。
1995年Amazonは一般に向けた自社の告知を行いました。
1996年にはデラウェア州の法人として再登記され、1997年に1株あたり18.00米ドルで新規株式公開しました。
Amazonは他社に先駆けてブランドを構築することを重要視していました。
「我々のビジネスモデルに他社がコピーできないような特色はない。だが、マクドナルドのビジネスモデルも他社にコピーされたが、それでも数十億ドル規模の企業になることができた。その大きな要因はブランドネームだ。インターネット上ではブランドネームが現実世界よりも大きな意味を持つんだ。」と語っています。
Amazonのビジネスモデル
「顧客中心主義」「発明中心主義」「長期的視野」を掲げ事業を行っています。
根幹となるのはベゾス氏がレストランの紙ナプキンに描いたビジネスサイクル図でした。
低価格を生み出す仕組みやネットならではの際限ない品ぞろえによって「驚くべき顧客体験」を提供すれば会社が成長し、さらなる低価格やサイトへの誘因に繋がることを示しています。
設立当初4、5年は利益が挙がらないことを戦略として予測していたこともあります。
株主はもっと早く成長しなければ株主の投資を正当化できず、長期的には残ることすらできないだろうと不満をもらしましたが、21世紀当初のITバブル崩壊はおおくのIT企業を倒産に追い込んだが、Amazonは生き残り2001年第四半期に10億米ドルの収益に対し、利益500万米ドルとささやかながら、開業以来、初めて利益を計上しました。
黒字への転換はベゾス氏の型破りなビジネスモデルが成功できることを示しました。
日本でのAmazon
2000年にAmazonの日本語版サイト「Amazon.co.jp」としてオープンしました。
開設当初は書籍のみの取り扱いでしたが、現在では約20種類ほどのカテゴリーを取り扱っています。
Amazon.co.jpの売主は「日本法人」ではなく、アメリカ合衆国のワシントン州法人であるAmazon.comであり、同社は日本国内に支店などは持っていません。
そのことから、日本での利益に対して日本の法人税を支払っておらず、全部アメリカ合衆国に入ります。
2019年Amazon.comは現在の外国法人が契約主体では事業展開上の制約が多く、日本事業を拡大するためには適切に納税するほうが得策との考えから、日本国内での販売額を現地法人の売上高に計上する方針に転換し、2017年と2018分の法人税を納付したことがわかりました。
ブルーオリジンの活動
設立当初は準軌道飛行に焦点を置いています。
「誰でも宇宙に行くこと」を手伝うために同社を設立して、その為に輸送費用を低減し、有人宇宙飛行の安全性を高めるということに注目しています。
幼少期からの夢である宇宙起業家という夢を叶えました。
「私たちは地球を救うために宇宙に行かなければなりません。」
「いまの世代にできることは、宇宙への道を切り開くことです。」
「世界のエネルギー需要は年間3%ほどの比較で増えています。このままいくと500年後には地球全体を太陽光パネルで覆いつくさないと供給が間に合わない計算になります。」
「エネルギー生産が大幅に効率化されれば、それに伴って無限に増え続ける需要が有限の資源と交差し、私たちの子孫は限られた資源を分配する貧しい暮らしを送ることになるだろう。」
「地球を出て太陽エネルギーを活用し、宇宙で1兆人が暮らすようになれば素晴らしい文化になるはずです。停滞と分配をとるか、ダイナミズムと成長を選ぶのか答えは簡単です。」
2019年に宇宙移住のビジョンをこう語りました。
再使用可能なロケットの開発を進め、「ニュー・シェパード」の12回目の打ち上げに成功しました。これには6人の搭乗が可能です。数分の宇宙旅行が楽しめるほか、科学実験の場としても利用される予定です。
また超大型ロケット「ニュー・グレン」の開発にも取り組んでおり、ニュー・シェパードと同じく再利用可能で月への荷物輸送が計画されています。
ジェフ・ベゾス氏の名言
「成功の秘訣は、他社の動向に気を取られないことだ。」
「失敗しても後悔しないのはわかっていた。しかし、試さなかったら後悔していただろう。」
「我々は市場シェアを自分たちで決めることはできないと常に思っています。最高の顧客経験を提供することに重点を置いてビジネスを展開するだけです。あとは顧客がAmazonのシェアを決めます。Amazonで買い物するのか、それとも別の所でするのか。それは常に顧客が決めることです。」
ジェフ・ベゾスを簡単に表すと
新しいモノを次々と生み出し、世界の文化を変えてきた人物です。
そんな彼は、宇宙への道を見出しました。
人類の宇宙旅行もそう遠くない未来に実現できそうですね。
この先、ベゾス氏によって地球と宇宙の両方に時代の変化が訪れるのではないでしょうか。
また、ネット社会である現代では欠かせなくなったAmazonのようにまた新たなビジネス展開を期待したいものですね。
起業に興味がある?なら偉大な起業家に学ぼう。
以下の記事では、偉業を成した22人の起業家を紹介しています!
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