Microsoft(マイクロソフト)共同創業者のポール・アレンとは?経歴と名言まとめ【起業家】

ポール・アレン起業家
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ポール・アレンとは

名前:ポール・ガードナー・アレン

誕生日:1953年1月21日

出身地:アメリカ合衆国ワシントン州シアトル

生い立ち

アメリカ合衆国・ワシントン州シアトルに生まれ、父はワシントン大学図書館の副理事長をしていました。

読書好きな早熟な子供だったそうで、柔和で知的な雰囲気を持っていました。

アレン氏は科学少年で家の地下室で実験を繰り返しており、次第に電子回路の制作に夢中になり、中古のテレビを買い漁っては、簡単な修理をしていました。

コンピュータに興味を持ったのは11歳の頃からでした。

また、アレン氏は芝生の花粉アレルギーがあり、野外でのスポーツはあまりやらなかったそうです。

ただ父親の影響もあり、スポーツ観戦、特にバスケットボール観戦は好きでした。

高校生になり、レイクサイド高校という私立高校に通い、そこでビル・ゲイツ氏と出会います。

その時、アレン氏は14歳、ゲイツ氏は12歳でした。

2人は高校のテレタイプ端末を使って、プログラムを開発していました。

また、アレン氏はコンピュータだけでなく、学力も優れており、SATでは1600点で、満点を記録します。

その後アレン氏はワシントン州立大学へ進学し、学生生活を謳歌します。

その学生生活中に、アセンブリ言語を用いて、インテル8008チップの動作をシミュレートするプログラムを作ります。

シミュレートするプログラムを作ったということは、ハードウェアが存在せずとも開発を進めることができるということです。

このように、初めにシミュレータを作るという開発手法はMicrosoft社の手法として定着しています。

アレン氏は2年生の終わりごろ大学を中退します。

経歴

1974年 ハネウェル就社

1975年 ハネウェル退社

1975年 MITS入社

1981年 Microsoft社設立

1983年 Microsoft社退社

1985年 アシンメトリックス社 設立

1986年 慈善団体ポール・G・アレン一族財団 創設

1990年 Microsoft社復帰

1998年 チャーター・コミュニケーションズ 会長就任

2000年 Microsoft社退社

2003年 アレン脳科学研究所 設立

2013年 Vulcan Inc設立

ハネウェル社に入社

プログラマーとして働き始めます。

1975年1月に「ポピュラー・エレクトロニクス」に掲載されたAltair8800の紹介記事を読んだアレン氏は、ゲイツ氏に見せながら、「僕らのいないところで、これが起こっているんだよ。」とゲイツ氏を誘います。

それまでのコンピュータは非常に大きく高額だったため個人で所有するのは無理がありました。

しかし、このAltair 8800は個人でも所有することを可能にしたコンピュータでした。

「コンピュータが世界を変える」と予想していたアレン氏にとってこの記事は衝撃的でしたが最も衝撃的だったのは、開発したのが自分たちでなく、MITSが開発し、販売したということでした。 

ゲイツ氏とアレン氏は新しいマイクロコンピュータの製造者であるMITSに電話をし、Altair向けBASIC言語インタプリタの実装のデモンストレーションをしたいと提案しました。

当時ハーバード大学に通っていたゲイツ氏と共にハーバード大学のコンピュータセンターに設置されていたPDP-10を用いたエミュレーションによってインタプリタを開発しました。

アレン氏は開発したBASICインタプリタをMITSに持ち込みデモンストレーションを行いました。

一度で完璧に動き、これをうけてMITSはAltair BASICとして配布することを決定しました。

1975年4月にアレン氏はハネウェルを退社し、MITSの社員になります。

MITS時代

インタプリタを開発し、アレン氏はMITSの社員となり、ゲイツ氏はハーバード大学の学生のままでした。

大学が休みになるとゲイツ氏もやってきて、BASICの改良を手伝いましたが、休みが終わると大学へ帰っていきました。

アレン氏がMITSの社員になった1975年4月をもってマイクロソフト社が創業されたとされることがありますが、実際にはMicrosoftという名前すら存在せず、そのような法人も存在していません。

実際に、1975年7月にMITSとの間でBASICインタプリタに関する契約書が交わされた際には、契約の当事者は法人としてのMITSと個人であるアレン氏とゲイツ氏であり、契約書にMicrosoftという名称は出てきません。

Microsoftという名称はアレン氏が1975年に考えだし、この時点では「Micro-soft」とハイフンを含む名前で、これはアレン氏とゲイツ氏が私的につけたチーム名に過ぎなかったそうです。

Microsoft立ち上げ

正式に設立されたのが1981年になってからでした。

その後、IBM PC上のオペレーションシステムの開発を請け負い、シアトルコンピュータプロダクツの86-DOSの権利を購入し改良、自社ブランドでMS-DOSを開発しました。

86-DOSの購入を成功させたのはアレン氏の交渉力があったからだといいます。

IBM PCとそれらの互換機の普及と共にオペレーティングシステムの需要も伸び、現在に至る地位を固めていきました。

86-DOSの開発者である、ティム・パターソンは後にMicrosoftに引き抜かれMS-DOS開発のメインスタッフになりました。

MicrosoftはMS-DOSを改良するほかに各機種用のBASICやC言語・FORTRANなどのコンパイラの開発を手掛ける一方、Altoの見学などMS-DOS上で動作するGUIシステム「Windows」の開発に注力しました。

また、ビジネス向けの表計算ソフトやワープロソフトなどを開発し先行する他社と「買収か潰すか、どっちか」とまで言われた競争を繰り広げ、各方面で賛否を仰ぎながらも多方面のビジネスソフトでシェアを独占しました。

ポール・アレン氏を襲ったホジキン病

もともとホジキン病の持病を患っていて、病を理由にマイクロソフト社を退社しています。

その後放射線治療や骨髄移植で一時病態は回復し、1985年には自ら起業しています。

後の検査でホジキン病が誤診であることが判明し、1990年にマイクロソフトに復帰するも、2000年には再びマイクロソフトを退社しています。

その後投資家や慈善家として活動しますが、2009年「非ホジキンリンパ腫」であると診断されます。

そこから何度もがんを発症し、ついに2018年65歳の若さでこの世を去ります。

ゲイツ氏は「彼はもっとも生きるに値する人だった。彼はそれだけのことをやり遂げてきた。彼を失って、本当に哀しい。」と追悼を捧げています。

Microsoft退社後

一度目にMicrosoft社を退社した後、1985年にはアシンメトリックス社を設立し社長に就任しました。

その後Microsoftに復帰しますが、復帰後1998年にアメリカの大手CATV会社であるチャーター・コミュニケーションズの株式を買収して筆頭株主となります。

さらに、チャーター・コミュニケーションズの会長職に就任することになりました。

しかし、同社はその後経営不振に陥ってしまい、2009年に連邦倒産法第11章の適用を受けることになりました。

後に経営再建を果たしますが、アレン氏は同社の株を徐々に手放したそうです。

アレン氏が手放した後は、リバティメディアが大株主となりました。

2000年代のポール・アレン氏の取り組み

アレン氏は2000年代にはMicrosoft社の幹部からも離れ、完全にMicrosoftから離れる選択をしました。

その後、個人投資家や、慈悲家の立場での取り組みに尽力していきます。

そのほかにも、スポーツに関心を持っていたため、フットボールチームやバスケットボールチームを所有していました。

また、アレン氏と妹がオーナーを務める映画制作会社で製作された映画はグラミー賞やエミー賞など数々の名誉ある賞を受賞しています。

さらにミステリー好きとしても有名で、旧帝国海軍が建造した戦艦「武蔵」をマリアナ海域で発見したことも発表しています。

アレン氏の父親が太平洋戦争に陸軍として従軍していたことから、そこで沈没した戦艦に非常に強い興味を持っており、8年間も戦艦「武蔵」の探索を続けたそうです。

長らく発見できなかったので「海中をさまよっている」という伝説も残したほどです。

ですが、アレン氏が発見したことでその存在は確かなものになりました。

そのほかフィリピン海域では駆逐艦「島風」「朝雲」「山雲」「満潮」や戦艦「山城」「扶桑」なども発見したと発表しています。

現在もなお、アレン氏の死後調査を引き継いだ財団によって調査艇での調査は続けられているようです。

また、宇宙にも興味を持っており、2011年民間宇宙企業ストラトローンチ・システムズの創業を発表しました。

アレン氏の死後2019年に母機ストラトローンチが念願の初飛行を果たしています。

投資家としてのポール・アレン氏

アレン氏は投資家としても活躍し、さまざまな新技術に投資をしてきました。

個人資産を運用し、2013年にはVulcan Incを設立し、カルフォルニアに事務所を開設しました。

アレン氏は2兆円以上の資産を築いてきましたが、その資産の多くを新興テクノロジーやインターネット、通信技術などの分野に投資しました。

他にも、さまざまな特許を持ち、アプリやインターネット、航空宇宙開発など幅広く投資を続けてきました。

アレン氏は特にテクノロジー関連の投資に力を入れており、誰よりもテクノロジーに対して熱心に研究をし、テクノロジーの未来を作ってくれた人物の一人であると言えます。

ポール・アレン氏の慈善活動

Microsoft退社後は慈善事業にも参加し、活動を続けていました。

私財から3億4100万もの金額を寄付したそうです。

1986年には慈善団体であるポール・G・アレン一族財団を創設し、毎年3000万ドルを民間非営利組織に寄付しています。

2003年には、私財でアレン脳科学研究所を設立し、マウス脳遺伝子発言マップ作製プロジェクトを開始しています。

他にも動物保護への取り組みや、疫病対策への寄付など幅広く活動をしてきました。

また芸術面にも興味を持っていたようで、長年に渡り、歴史的遺産のコレクションを展示する非営利団体を立ち上げています。

芸術家への支援や、博物館にコレクションの貸し出しなども行っているようです。

現在のMicrosoft

Microsoftは4月14日にビジネスコミュニケーションサービス「Microsoft Teams」のビデオ会議で最大9名の参加者を同時に表示する機能を導入すると発表しました。

この機能は4月末までに実装されるといいます。

Microsoftは新型コロナウィルスによるリモートワークの需要が高まっていることをうけ「Microsoft Teams」のビデオ会議機能を積極的に強化しています。

最近では「Zoom」で人気のカスタム背景機能が実装されたほか、ミーティング中に発言を求めるときに使う挙手アイコンのグローバル展開や、すべての参加者のミーティングを主催者側から終了させる機能をリリースさせています。

ポール・アレン氏の名言

「私たちの宇宙と他の文明がどこに存在するかについての基本的な質問のいくつかについての基本的な答えを探すための世界で最も先見の明のある取り組みの1つをサポートできることを非常にうれしく思います。」

「コンピュータは7基本的に、計算要素であり、大量のメモリです。進化によって設計された脳と比較すると、それらはかなり理解しやすい。」

「可能性は絶えず再定義されており、私は人類が前進するのを助けることに深く関心があります。」

“We've had some tough times, but we've hung in there.”

「厳しい時期もありましたが、私たちはそこに夢中になっています。」

“As a species, we've always been discoverers and adventurers, and space and the deep ocean are some of the last frontiers.”

「種として私たちは常に発見者と冒険者であり、宇宙と深海は最後のフロンティアの一部です。」

“Those fortunate to achieve great wealth should put it to work for the good of humanity.”

「偉大な富を得ることができる幸運な人たちは、それを人類の利益の為に働かせる必要があります。」

最高のコンビ

アレン氏とゲイツ氏は最高のコンビと呼ばれました。

2人がチェスをすると、やみくもに攻撃一本やりのゲイツ氏をやんわりとかわして負かしてしまったとアレン氏の性格を説明するエピソードがあります。

アレン氏はハードウェアとインターフェイスに強いという特徴を持っていました。

それに対し、ゲイツ氏はソフトウェアにしか関心がなく、2人の興味は対照的だったと言えます。

アレン氏はロマンチストな「アイディア・マン」と呼ばれているのに対し、ゲイツ氏はリアリストな「行動する男」と呼ばれていました。

興味だけでなく性格も対照的なのがうかがえます。

ゲイツ氏がガソリンに興味を持っていた時、アレン氏が「精製」とは何かを明確かつ面白い方法で説明したという逸話があり、ゲイツ氏はアレン氏を「彼は複雑なテーマを簡単な方法で説明できる、広い視野と特別な才能を持っていました。」と語っています。

ここまでお互いを補完しあっているコンビは他になかなかいません。

ゲイツ氏は「私がポールについて考えると、彼は家族や友人を愛する情熱的な人物であった記憶が蘇ります。また、偉大なことを達成しようとする華麗な技術者であり、慈悲家でもある彼の姿を覚えています。」と語っています。

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