この記事は、吹き出しでの会話形式によるスティーブ・ジョブズの解説記事となります。
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Apple(アップル)の由来
そんなこんなで、ジョブズとウォズは会社名「アップル」で事業を始めることにしたんだ
改めて思うけど、Appleってネーミングセンスいいよね!
果物の名前でかわいいし、パソコンなのにリンゴってところがなんかオシャレっていうか
ジョブズは菜食主義だし、ちょうど当時アルバイトしてたリンゴ農園から帰ってきたところだったというきっかけもあったんだ
コンピュータの複雑なイメージが柔らかくなるし、電話帳でAtariより上にくるのも決めてだったらしい
たしかにアップル製品って堅いイメージないからとっつきやすい雰囲気あるよね!
当時はもっとイイ会社名が浮かんだら変えようって軽い感じでジョブズが決めたんだけど、とっつきやすいイメージに加えて、クールなリンゴのロゴマークも合わさることでアップルのブランディングは大成功したんだ
あの洗練されたリンゴマークいいよねー
スタバでMacBook広げてドヤりたくなる衝動もわかるわぁ・・・
いやそれはわからなくていいから・・・
3人目の共同創業者ロナルド・ウェイン(愛称:ロン)
そして会社名も決まり資金も大体集まったところで、1976年4月にジョブズ、ウォズ、ロンの3人でApple Computer Company(アップルコンピュータカンパニー)が創業されたんだ
あれ?ジョブズさんとウォズさんの二人で創業したんじゃないの?
ロンさんって誰?
ロンことロナルド・ウェインは、Atariで製図工として働いてて、ジョブズから会社立ち上げの相談をされた人だよ
この人はウォズに立ち上げメンバーになるようジョブズと一緒に説得してくれて、さらに創業の手続きやAppleのロゴとAppleⅠの説明書作成をしてくれたんだ
つまり事務手続き全般を手伝ってくれた人ってことだよね!
ロンさんはロゴも作ってくれたってことは、この頃からAppleのロゴってあのかじられたリンゴだったの?
いや、ロンが作成したApple最初のロゴは木の下に座るニュートンが描かれていて、リンゴはすごく小さく描画されてたんだ
ニュートンって、万有引力を発見したあのアイザック・ニュートン?
そうそう、リンゴが木から落ちるのを見て引力を発見したことで有名なニュートン
でもこのロゴは箱や機械に描画するとグチャグチャして見づらいってことで、同年にすぐ変更されたんだ
そうなんだー
でもジョブズさんやウォズさんはデザインとか事務はできなさそうだし、そう考えるといい役割分担で創業で来た感じなんだね!
まぁロンは創業から12日で退職しちゃうんだけどね
えぇ!?どうして!?
ロンは会社を一回潰したことがあったから慎重に事業を行いたかったんだけど、ジョブズが方々からお金を借りまくってるのに不安を感じてやめちゃったんだ
そんなー
ロンは創業時に配分された10%のアップルの株式もすぐに800ドルで売っちゃったんだ
アップルの時価総額は2020年9月時点で2兆ドルを超えてるから、もしロンが10%の株式を今も持ってたら2000億ドル以上の価値になってたからすごいよね
2000億ドル!?
えーっと、今は1ドル105円くらいだから...
に、20兆円以上…だよね?
そうだね、もう国が買えちゃうね
AppleⅠの販売
結局アップルはジョブズとウォズの二人だけでスタートしたんだけど、まずはウォズが作ったAppleⅠの販売先を見つける必要があった
AppleⅠって当時は画期的だったんでしょ
ならすぐに販売先は見つからなかったの?
それがそんなこともなくて、AppleⅠはコンセプトが先進的すぎてなかなか良さが伝わらなかったらしい
けど営業活動の甲斐もあって、ついに「バイトショップ」っていうコンピュータストアから1台500ドルで50台の受注を貰うことができたんだ
ようやく売れたんだ!
でも非常にタイトな納期で受注を受けちゃったせいで、場所も人手も全く足りなかった
そこでジョブズは実家のガレージを作業場として、両親や大学時代の友人コトケとその恋人エリザベス、養子の妹だったパティなどあらゆる人手を借りて、なんとか納期までにAppleⅠを揃えることができたんだ
ジョブズさんの性格的に、「最短だとこれくらいで納品できますよ」って大見得切っちゃったのかな?
でも無事に納品できてよかったよね!
そしてこの勢いのまま、ジョブズは次の構想を実現するために行動を開始した
次の構想?
一体型パソコン「AppleⅡ」の開発だよ
AppleⅡの開発と出資者マイク・マークラの登場
一体型ってどういうこと?
AppleⅠは基盤だけの販売だったからモニターやキーボードは別で用意する必要があるし、ある程度知識がある人しかいじれないっていう大きな課題があったんだ
そこでジョブズは、キーボードとモニターを一体型にして、コンセントを差せば誰でもすぐに使えるパソコンの開発に乗り出したんだよ
コンセントを差して電源をつけるだけなら私にも使えそう!
けどAppleⅡの開発には多額の資金、ようはお金が必要だったんだけど、ガレージでコンピュータマニア向けの基盤を作っているような会社に出資してくれる人はなかなか現れなかった
まぁこれには出資の交渉に横柄な態度を取っていたジョブズの人間性も原因だったけどね
ジョブズさんのことだから「で、うちに投資してくれますよね?」とか超上から目線で交渉してそう
だいたい合ってる
そんなある日、マイク・マークラという人がジョブズのガレージを訪れ、出資の相談を受けにきたよ
出資してくれる人いたんだ!
けど、そのマークラさんってどういうきっかけで出資したいって思ったの?
AppleⅠに感動したとか?
そうじゃないんだよね
ドン・バレンタインっていうアタリにも投資してたベンチャーキャピタリストがいるんだけど、その人にジョブズは150回以上電話をかけて投資の相談をしようとした。
痺れを切らした彼が、代わりに1度会ってきてくれって頼んだのが、仕事仲間のマークラだった
150回!?相談っていうかもうストーカーか嫌がらせの領域だよね!?
マークラは興味本位で訪れただけだったものの、ジョブズの巧みな交渉によりなんと融資してくれることになったんだ!
さすがジョブズさん、この頃からもうプレゼンに定評があったのね
こうしてマークラに融資された250,000ドルを元手に、1977年1月にアップルコンピューターは法人化、そしてジョブズたちは無事にAppleⅡを完成させることができたよ
AppleⅡ発表、その後大ヒット
でもAppleⅠみたいに、先進的過ぎてあんまり売れなさそう
そんなことはなかったよ
完成したAppleⅡをお披露目するために、ジョブズは1977年4月にサンフランシスコで開催されたコンピュータフェスで一番目立つド真ん中の場所をおさえて発表した
モニターとキーボード、そして基盤すべて一体になった世界初の量産型パソコンとして話題となり、これが大ヒットしたんだ
このAppleⅡはApple社の繁栄とパソコンの普及に大きく貢献し、1993年に生産終了となる16年間で、全てのモデル合わせて約600万台も売り上げるロングセラーになった
めちゃくちゃ売れたんだ!
じゃあこのAppleⅡのおかげで会社が大きくなっていったんだね!
そうだよ
AppleⅡが大ヒットしたおかげで、アップルは3年後の1980年には従業員数1,000人を超える大企業にまで成長したんだ
AppleⅡ大成功じゃん!
スティーブ・ジョブズの暴言暴挙
AppleⅡの売上はすこぶる順調だったけど、1つだけ悪化していることがあった
悪化してること?
会社が大きくなるにつれて、ジョブズの振る舞いはより酷くなっていったんだ
あ、そういえばジョブズさんがクズなの忘れてた…
ジョブズは従業員に対し「クソみたいなデザインだ」「くだらない仕事だな」「何のセンスもないな」といった暴言
製品について少しジョブズに意見すれば、価値観が合わないからと言ってクビ
君の役割は何だと社員に質問し、ジョブズが納得できる説明ができなければクビ
秘書がいつもと違うミレラルウォーターを持ってきたからクビ
とにかく少しでも自分に合わない社員がいればすぐクビにするという暴挙
そして相変わらず菜食主義だからシャワーも浴びないと言って悪臭も放っていた
ひ、ひどすぎる…
さらにこの頃、ジョブズの彼女が妊娠したのにも関わらず、自分の子供だと認めず裁判沙汰にまでなっているということが社内にも広まっていたから、社員からの印象は最悪だった
クズの権化じゃん
それでもAppleⅡ考案の実績と、良いものを作ろうという仕事面での彼の姿は魅力があったからついていく人も多かったみたいだけどね
私は絶対に無理です
AppleⅢは爆死し、Lisaチームからは追い出されたジョブズ
ジョブズの振る舞いが荒れていたのは、周りに自分がアップルの生みの親だと認めさせたかった焦りからきていたんだ
え?認めさせるも何も、アップルの生みの親ってジョブズさんでしょ
周りはそう思ってなかったんだよ
当時アップルの生みの親はウォズだと思われていたんだ
確かにジョブズさんは売るのは得意だけどエンジニアじゃなかったからね
AppleⅡもジョブズじゃなくてウォズが作ったものとされていた
だからそういった周囲の認識を変えるために、ジョブズ主導の新製品のAppleⅢが作られた
AppleⅢってことはAppleⅡの後継機ってこと?
ウォズさんも一緒に作らなかったの?
ウォズは引き続きAppleⅡのソフトやハードを作ってたんだ
そうなんだ
それでAppleⅢは売れたの?
それが全然売れなかった
ジョブズが仕様をこだわり過ぎたせいで放熱性で致命的な欠陥があって不具合が多発
リコールの連発でもはや売り物にならず失敗作になる
放熱性に欠陥ってどういうこと?
ジョブズはコンピュータの冷却ファンの音が大嫌いだったから、ファンや通気口がない設計にこだわったんだ
その結果、熱が全然逃がせないから高温になってパソコンが故障することが頻発したってわけ
たしかにファンはうるさいから無い方が嬉しいけど、技術的に難しかったんだね
AppleⅢで大失敗したジョブズは、次にLisaっていう新しいパソコン製品の開発に着手したんだけど、経営陣から総スカンを食らってプロジェクトから外されちゃったんだ
創業者がプロジェクトから外されるなんてあるんだ...
マッキントッシュチームへ
社内ニートになってしまったジョブズはやることを求めて、次にMacintoshという別のパソコン開発プロジェクトに目を付けて、今度はそこで仕事をすることにした
その際、マッキントッシュチームのプロジェクトリーダーは邪魔だったから排除してジョブズがリーダーになった
やることなかったから別のプロジェクトを乗っ取ったの!?
もうやること滅茶苦茶じゃん…
やり方は横暴だけど、ジョブズもAppleⅢの件を反省した上で作りたいと思ったパソコンがあったからなんだよね
その作りたいパソコン作ってAppleⅢ失敗したんでしょ
ジョブズはAppleⅢで失敗したあとちゃんと反省して勉強したんだよ
今回のアイデアはGUIとマウス、そしてビットマップディスプレイだよ
えーっと、なんて?
GUIはグラフィカルユーザーインターフェースの略で、今日僕たちがアイコンをクリックしたりドラッグ&ドロップしたりしてるあの操作画面のこと
そしてビットマップディスプレイは、一言で言うとピクセル単位で色や輝度を指定できるディスプレイのことだよ
GUIとマウス、そしてビットマップディスプレイは今じゃ当たり前の技術だけど、これをパソコンで最初に商品化したのはAppleなんだ
それまで分かりにくいコードや文字列しか表示されなかったパソコンをよりいっそう誰にでも使えるようにした革新的な技術なんだよ
そうなの!?
じゃあ今私達がこうしてパソコンが直感的に使えてるのは、ジョブズさんのアイデアのおかげってこと?
いやアイデア自体はゼロックスっていう会社からジョブズがパクってきたものだよ
パクりかよ!!
ゼロックスのパロアルト研究所というところをジョブズが見学したとき、これらの新技術に感銘を受けたのがきっかけだよ
これは業界最大のアイデア強盗事件って言われてるけど、『優れた芸術家は真似る、偉大な芸術家は盗む』というピカソの言葉を引用してジョブズは釈明したんだ
偉人の言葉引用してるからそれっぽく聞こえるけど、アイデアを盗んだことは認めてるのね...
そしてジョブズは他のプロジェクトチームから優秀なエンジニアを勝手に引き抜いてマックチームを再編
それから「週90時間、喜んで働こう」と書かれたTシャツをチーム全員に着させて開発を進めた
超ブラック企業じゃん
ていうかそんなTシャツ着せて意味あったのかなぁ
IBMに宣戦布告したジョブズ
そんなMacintoshを開発中だった1981年、当時世界最大のコンピュータ企業だったIBMもパソコン市場に参入してきた
IBM…なんか聞いたことある
あんまり身近じゃないから知らない人も意外と多いよね
IBMは従業員数35万人を超える超巨大多国籍企業で、従業員数2,000人ほどだったアップルからしたらワンダと巨人くらいの違いだった
当時は、IT業界を支配するIBMの参入にアップルは不安視してたんだよ
え、じゃあジョブズさんも不安だったの?
ジョブズは別だよ
むしろジョブズは、AppleⅡの発売から3年以上も遅れて参入してきたIBMなんて眼中になかった
そして実際にIBMが発売したパソコンも、アップルに比べたらソフトもハードもお粗末で全然大したことなかったんだ
そこでジョブズは、ウォールストリートジャーナルに「ようこそIBM。本当に」と世界最大のコンピュータ企業を揶揄するような全面広告を出して煽ったんだ
それはカッコいい!
じゃあIBMのパソコンは全然売れなかったんだね
それがそうでもなかった
IBMには「あのメーカーが出してるパソコンなら間違いない」っていう信頼性と安心感があったからよく売れたんだ
ダメじゃん
ペプシ・コーラからジョン・スカリーがアップルCEOに就任
IBMとの競争が激しくなっていく中、アップルでは期待の新CEOが就任することになった
新CEO?
それがペプシコーラのCEOジョン・スカリーという人物だった
ペプシコーラ?
コンピュータと全然関係ない業界じゃん
そんな人がアップルのCEOになっても大丈夫なの?
ジョン・スカリーは金融街でも人気の人物だったから話題性があった
そして技術系じゃなく、もっと身近な消費者向けのマーケティングに精通してる人物がいいとジョブズが提案し、彼がアップルに招待されることになったんだ
ジョン・スカリーさんも他業界なのによく来てくれたね
スカリーのヘッドハンティングにはジョブズが直接本人と交渉を行ったんだけど、「砂糖水を売り続けるか、それとも世界を変えるチャンスにかけてみるかい?」というセリフでスカリーを落としたんだ
か、かっこいい!
やっぱりジョブズさんの交渉術は神がかってるね!
1984年1月にMacintoshマッキントッシュを発表
そして1984年1月、完成したMacintoshがついに発表された
このとき放映されたアップルのCMが今でも語り継がれるほどの伝説になったんだ
そんなにすごいCMなの?
1949年に発売されたベストセラー「1984年」っていうジョージ・オーウェルのSF小説をモチーフに制作されたCMなんだけど、小説の内容は監視・統制された独裁国家というディストピアの世界を舞台にしてるんだ
支配者側をIBM、解放者側をアップルに見立て、コンピュータ業界を支配するIBMに対し、アップルが自由・開放のために立ち向かうといった表現のCMだった
このCMは民衆の心を掴んで大きな話題になったんだ
なんかグッくるCMだね
アメリカの人って自由とか開放っていう言葉好きそうだし
このCMに新製品のMacintoshは映ってなくて、放映の2日後のイベントで初めて公開された
商品のデモンストレーションは大成功して集まった人たちは拍手喝采、メディアもこぞって絶賛して、IBMのパソコンの2倍の価格で発売されたにも関わらずよく売れたんだ
ジョブズさん渾身の製品というだけあって好調だったんだね
ビル・ゲイツ率いるマイクロソフトの台頭によりアップルの売上鈍化
Macintoshの性能はライバル企業の10年先を行っていると確信していたジョブズだけど、そんな状況を一変させる企業が登場した
それが、ビル・ゲイツのマイクロソフトだったんだ
マイクロソフトって、WindowsとかOfficeのあのマイクロソフト?
そう
Macintoshの発売から間もなくライバル企業のパソコンが飛躍的に進化して、GUIやマウスを導入するようになっていった
これは、マイクロソフトがMacintoshに劣らないプログラムを他社へ売ったからなんだ
え、それじゃあ値段が高いMacintoshはだんだん売れなくなっちゃうんじゃない?
最初は好調だったMacintoshも販売ペースを落としていき、結局1984年は100万台だった販売目標の4分の1程度しか売れなかったんだ
Macintoshをパクられて激怒したジョブズは、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツを呼び出して、あらん限りの暴言と罵倒を浴びせた
ジョブズさんブチギレてるじゃん
ていうかジョブズさんもゼロックスって会社からパクってきたんじゃ…
対するビル・ゲイツも1歩も譲らず、自分のやったことを正当化して返した
二人とも弁が立つから何十分も続いたそうだよ
天才同士の言い争いってめんどくさそうだね
スティーブ・ジョブズの解任
そんなマイクロソフト絡みの失態、そしてAppleⅢ、Lisa、Macintoshと立て続けに新製品で失敗したアップルでは、独断専行で問題ばかり起こすジョブズへの不信感が増大していった
そしてアップルCEOのスカリーは、ついにある決断をした
どんな決断?
ジョブズをアップルから追い出したんだよ
えーーー!!?
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