アメーバブログ、AbemaTVなどのサービスを提供している大手インターネットメディア企業「株式会社サイバーエージェント」の創業者 藤田晋さんをご紹介していきます。
藤田晋さんとは
人物
名前:藤田晋
誕生日:1973年5月16日
出身地:福井県鯖江市
趣味:麻雀、釣り、ゴルフ
生い立ち
大手メーカーの技術者の父の背中を見て育ちました。
仕事一筋に生きる父親を誇らしく思う反面、心から共感できず、漠然とした不安を抱えながら生活をしていました。
父親は毎日夜遅くまで働く、仕事人間でしたが、休みの日は子供たちをスキーや釣りに連れて行くなど家族サービスもしっかり行っていました。
「父は子供たちの事ばかり考えていた。」と語り、小学4年生のとき福井県の将棋大会で優勝し、「県で1位だから今日からお前はケンイチくんだ。」と大喜びしていたと語られています。
経歴
福井県立武生高等学校卒業
青山学院大学経営学部卒業
人材派遣会社インテリジェンス入社
1998年 株式会社サイバーエージェント設立
2000年 東証マザーズ上場
2004年 アメーバブログサービス開始
2013年 株式会社gift秋元康、見城徹、松浦勝人らと共同で設立
2015年 株式会社gift 売却
2018年 一般社団法人Mリーグ機構を設立
麻雀
小学生時代に友達の親から教わって以来、現在に至るまで麻雀に親しんでいます。
大学入学後、雀鬼会という麻雀の競技団体に1年半に渡って通い、一時はプロを目指したほどの腕前だそうです。
「ビジネスで大事なことの非常に多くは麻雀を通じて学んだ。」と語られています。
2014年には麻雀最強戦に優勝し、最強位となりました。
この優勝を機に麻雀の勉強をし直し、釣りとゴルフは全くやらなくなり、自身の別荘でプロ雀士と一緒に合宿を行うなどし、最強位の頃に比べたら圧倒的に強いと言われています。
AbemaTVの麻雀チャンネルに頻繁に出演しています。
2018年に競技麻雀のプロリーグを運営する一般社団法人Mリーグ機構を設立し、初代代表理事に就任しました。
また、サイバーエージェントを母体に同リーグに参戦する「渋谷ABEMAS」の監督も務めています。
人生を変えたアルバイト
大学時代、その当時は高い志もなく、ごく普通の自堕落な生活をしていました。
麻雀が大好きで、授業もちゃんと出るタイプではなく、留年もしています。
そんな学生生活を送っていた大学2年生の頃バイト雑誌で見つけた広告代理店のアルバイトでした。
オックスプランニングという会社はリクルートから独立した30代前半の若い社長が切り盛りしていて、藤田氏はそこで飛び込みの営業などの自転車操業を経験したそうです。
そこでバイトを続けている中で、自分と10歳ほどしか変わらない人が社長業をしている姿を見ているうちに、「俺にもできるんじゃないか。」と思い始め、本格的に起業を意識し始めたそうです。
そこでのバイトを2年半続けバイトの合間に授業に出るという生活になるほど、仕事に夢中になっていました。
会社員時代
留年を含め5年かけて大学を卒業した藤田氏は、人材派遣会社インテリジェンスに入社することになりました。
以前のアルバイト経験から将来は起業すると決めていた藤田氏は、就職の面接の段階から「将来は起業します!」と宣言をしていました。
当時インテリジェンスには独立思考を持った人が多く、誰もが起業すると言っていましたが、実際に起業に踏み切った人は藤田氏以外にはいなかったそうです。
そんな人たちを見て、自分は絶対口だけにならない。と硬く決心しました。
インテリジェンスでは人材採用の営業として働き始めました。
独立までの1年間、1日も仕事を休むことなく、土日も必ず出勤し、毎日始発に乗って会社に通っていました。
その理由として、会社が休ませてくれないとか、上司が厳しいとかではなく、仕事が楽しく、毎月の売上目標を達成するのが楽しくて仕方なかったようです。
その結果当然のように藤田氏の営業成績はトップで入社1年目からすでに多くの人から慕われる存在になっていました。
起業秘話
営業マンだった藤田氏のもとに共同企業の話が浮上します。
きっかけは以前アルバイトをしていたオックスプランニングの専務でした。
当時オックスプランニングで社内紛争が起こり、役員が会社を追い出されてしまったそうです。
藤田氏はその話を聞きつけ、仲が良かった専務に対し、「一緒に起業しませんか?」と話を持ち掛けました。
専務も同意し、専務を社長に、藤田氏を役員として会社を立ち上げることにしましたが、そこで事件が起こります。
起業を決めた藤田氏がインテリジェンスを退職したいと社長である宇野康秀さんに相談しに行きました。
その際に起業することは良い事だといいながら、一つだけ藤田氏に「条件」を付けました。
それが「専務と組むのは辞めて、お前が社長をやれ!」というものでした。
更に宇野社長は藤田氏が一人でやるのであれば出資もしてやるという好条件も提示してくれました。
1日でも早くキャリアアップをしたいと上昇志向の強かった藤田氏にとってこの宇野社長からの打診は捨てられるものではありませんでした。
しかし、問題は専務です。
藤田氏は自分から一緒にやりましょうと言っておいて「やっぱり一人で起業するんで」と手のひらを返したことになります。
当然、「裏切者」と呼ばれたそうですが自分自身の将来のために自分が社長になる道を選びました。
しかし、この時点で起業することは決まっていたものの、「何をやるのか」「誰とするのか」は全くの白紙状態だったといいます。
サイバーエージェントの誕生
まず、事業内容を「インターネットを使う」ということに決めました。
当時はインターネットというだけで拒否反応を起こすほど一般的には普及しておらず、「だからこそ将来的に伸びる!」とそこに可能性を感じました。
その頃の藤田氏には営業の経験しかなかったことと、プログラマーなどは良い作品を作っても、世に広める手段を持っていなかったこともあり、広告、営業代行業を始めました。
しかし、藤田氏は内心、代行業というのをどうしてもやりたくなかったそうです。
藤田氏は広告代理店でのアルバイトの経験から「自社で商品を持たないことの辛さ」を感じていました。
なので、どうにかして自社の商品、自社のメディアを持たないといけないと考えていました。
半年ほど代行業を続けながら模索する日々が続きました。
救世主となったのは堀江貴文氏が率いるオンザエッジでした。
当時のサイバーエージェントは技術力を持っておらず、売上をシェアするという条件の上で、オンザエッジが開発を請負ってもらいました。
この「サイバークリック」が大ヒットし、代行事業をすべてやめることができました。
それ以来藤田氏と堀江氏はともに会社を大きくしてきた盟友となっています。
そして、サイバーエージェントは東証マザーズに上場を果たし、26歳での上場は史上最年少記録となりました。
アメーバを立ち上げるまで
株式上場後売上が追い付かなくなり、再度広告代理業を始めました。
ただ、やはり藤田氏は乗り気ではなく、自社のメディアを持つことが一番の関心事でした。
そんな中でもなかなかめぼしいメディアは見つかりませんでした。
そんな停滞状態の中アメリカからWEB2.0というものが日本に入ってきました。
その中で生まれたのがSNSやブログです。
藤田氏はブログをしておらず、堀江氏が書いていたブログが面白くだんだんブログが気になりだしました。
ようやく自分のブログを立ち上げてみたところ、だんだんアクセス数を集めるようになりメディアの持つ可能性を痛感したそうです。
主力事業としてやっていこうと決心し、そうそうたる覚悟をもって2004年に「アメーバブログ」を開発しました。
ネットバブルの崩壊から社内の混乱
上場を果たした藤田氏でしたが少しずつ崩壊の足音が迫ってきていました。
何の実態もなく、期待感だけで膨れ上がっていたITバブルがついに崩壊しました。
サイバーエージェントの株価ももちろん例外ではありませんでした。
今まで、持ち上げていたマスコミも厳しいものに変化していきました。
資金調達と同じくらい人材確保が大事だと感じていた藤田氏は有望だと感じた若手をどんどん採用していました。
ただ仕事内容などは決めておらず、何を期待されているのかわからない。なにをしていいかわからない。と会社を去っていくようになります。
更に上場前から会社を支えていた社員も腐っていくことになりました。
サイバーエージェントの株価が下がり続けるのを見て外資系コンサルタントによる買収話や、マスコミ、株主からの避難などが続き藤田氏も自分の役割を見失っていきます。
自分の未熟さを認め、創業前からの志「21世紀を代表する会社を作る」という信念のもとに行動を開始し、ここからアメーバブログの快進撃が始まりました。
アメーバ事業
2004年に「アメーバブログ」を開始しましたが、システム自体が外注でした。
今では誰もが知っている「アメブロ」ですが、すんなり上手くいったわけではありませんでした。
2005年にサーバーダウンが起こり、システム内製化を決意します。
サイバーエージェント創業期は「広告代理業」という性質上、良い人材を集め、社員が自分で考えて動くという所が強みでした。
「広告代理業」は売上という明確な目標があり、それを組織化することは難しくありませんでした。
しかし、メディア事業となると「プロダクトの体験をよくする」と目標があいまいになりました。
最初は社員に任せっきりでしたが、目標が曖昧な事業に社員が戸惑い2年以上も成果を出せない苦戦を強いられています。
この時にメディア事業を育てる中で、会社として転換点を迎えます。
一つ目が必要に応じて陣頭指揮をとる経営でした。
もう一つがエンジニアの採用を本格化するということでした。
膨大なアクセス数を生み出すブログプラットフォームを外注のエンジニアだけに頼るのは難しいことからでした。
その採用が、アメーバピグやゲーム事業の課金ビジネスに繋がっていった面もあり、事業を広げることが組織の多様化、そして事業の多様化に繋がっていきました。
ようやく2009年に損益分岐点を超え黒字化に成功しました。
それまでの累積赤字額は60憶円ほどといわれています。
今では1年間で100憶以上の利益を出すまでに成長しています。
藤田晋さんの結婚
2004年1月に女優の奥菜恵さんと結婚して世間を騒がせました。
しかし、その結婚生活はわずか1年半で終わってしまいます。
当時は離婚原因がわからなかったことから不倫疑惑や金銭トラブル、性格の不一致などいろいろと憶測が飛び交いました。
その後奥菜さんが暴露本を出版し、価値観のズレがあったと明かされました。
藤田氏はこれを受けて「批判は甘んじて受ける」と語りました。
2009年に元モデルで元秘書の澤野井宏美さんと再婚を発表しました。
2013年に長男である大門君が生れています。
最初は恋愛対象としては見ていなかったそうです。
しかし、パーティーに一緒に出席した際に見城徹さんから「なんでこんな美しくて気立ての良い女性と結婚しないんだ。」と言われ、某芸能事務所の社長からも「あなたの秘書いいわね。」と言われたことをきっかけに、「これだけ目が肥えている人達が言うのならそうかもしれない。」と思い女性として意識し始めたそうです。
社員に美人やイケメンが多いと噂のサイバーエージェントですがその中でもひと際美人だったのが澤野井宏美さんだったということです。
藤田氏のブログには度々大門君が出てきており、時間があるときは一緒にお風呂に入ったりと、パパ業もやっているそうです。
サイバーエージェントは顔採用
サイバーエージェントは顔採用と言われるほど、美男美女が多いことで有名です。
しかし、採用の基準は、「素直で良い人」「能力の高さではなく一緒に働きたい人」の2つだそうです。
サイバーエージェントのいいところは「人」と「カルチャー」だといい、そこが唯一無二の強みだといいます。
離職率は10%をきっていて「実力主義型終身雇用」という考え方を大事にしているそうです。
「挑戦」と「安心」をセットに考え、完全実力主義、かつ長く働いてもらえるような環境を目指しているそうです。
サイバーエージェントの四半期決算を読み取ってみる
メディア事業の営業損益がマイナス50憶円となっていますが、AbemaTVでの広告収入や課金システムにより増収を図っているのが見て取れます。
ゲーム事業としては新作の「ワールドフリッパー」と「ブレイドエクスロード」の2つのゲームが増収に貢献していることがわかりました。
この先の事業展開として、AbemaTVの増収に対する期待が大きいと考えられます。
メディア事業、広告事業、ゲーム事業の3つの柱が今後の事業拡大への核となると言えるのではないでしょうか。
藤田晋さんの名言
「あらゆる仕事には、最後は退路を断ち切って向き合わなければならない局面がある。」
「勝負どころを迎えたときは正直に、正々堂々と真正面から突破する。これに勝るものはありません。」
「あくまで結果にこだわる。それがプロ。」
「時間をいかに効率よく、有意義に使うかを考えれば「すべきこと」だけでなく「すべきでないこと」を決めるたいせつさがわかる。」
藤田晋という人
一見順風満帆のようですが、なかなかうまくいかないことも多かったようです。
「21世紀を代表する会社をつくる」という信念はぶれず、今も前進し続ける藤田晋さん。
今後どのようなサービスが出てくるのか楽しみです。
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