今回紹介する方は、堀江貴文さん。
今は亡き株式会社ライブドア(旧:オン・ザ・エッヂ)の創業者です。
経営破綻したライブドアの営業権を取得して事業を行ったので、正確には創業者ではありませんが、会社の中身は堀江さんが起業したオン・ザ・エッヂなので実質創業者です。
ここでは「多動力」を大切にし、ビジネスに没頭し続ける堀江貴文さんの起業成功までのプロセスを書いていきます。
プロフィール
堀江 貴文(ほりえ たかふみ)
生年月日:1972年10月29日
身長:173cm
経歴:著作家、投資家、タレント、YouTuber(ほりえもんチャンネル)
愛称:ほりえもん
自称:たかぽん
生い立ち
福岡県で生まれる
ホリエモンこと堀江貴文(ほりえたかふみ)さんは1972年10月29日、福岡県八女市の田舎町で生まれ、当時としては珍しい両親共働きの家庭で育ちました。
両親は当時父が27歳、母が20歳でお見合い婚だったそうです。
父はプロ野球巨人の大ファンで、その勝敗で態度が変わるほど気分屋な性格。
口答えすれば鉄拳制裁や気に縛り付けられるなどのお仕置きをするという昭和タイプの父親。
一方、母は普段おとなしく感情を表に出しませんが、ある日堀江さんが母に対し論理的に反論したところ、包丁を持ってきて激高したことがある時折気性が荒い人だったという。
夫婦仲は良好とは言い難く、3人で一緒に出かけた記憶はないそうです。
ホリエモンは今でこそ成功者だけど、子供時代の家庭環境については恵まれていたとは言えないね
両親は7歳も離れていたんですね・・・
プログラミングとの出会い
ホリエモンの子供時代は好奇心旺盛で成績優秀。
中学受験の合格祝いに買ってもらったパソコンをきっかけに、普通の男子なら中二病でジャラジャラしたチェーンや意味のない指パッチンなどをしている時、ホリエモンはプログラミングに没頭しました。
中学2年生の頃、通っていた塾の講師から日立のパソコンを全部NECの新しいパソコンに入れ替える際、教材システムの移植作業をやらないかという話を受け、およそ1ヶ月無我夢中でプログラミングし作業を完了しました。
受け取った報酬は中学生にとっては大金の10万円でした。
しかしコンピュータにのめりこみ過ぎ、入学当時トップ10クラスだった成績は学年202人中199番まで落ちました。
勉強するしないの落差が激しすぎる
でも堀江さんは子供の頃から、好きなことを仕事として稼いでいたんですね!
経歴
ここからは、在学中の取り組み方について見ていきましょう!
県内で一番の進学校である久留米大学附設中学校に合格。
内部進学で久留米大学附設高校に進学。
中学、高校とコンピュータに打ち込み、成績はだいぶ落ちでしまいましたが、こうした環境から脱出するため東京大学に進学することを決めました。
英単語帳を隅から隅まで、派生語や例文も含めて丸暗記することで、たった半年でF判定から現役で東京大学へ合格したのです。
大学は東京大学で文学部の勉強をしていた
堀江貴文さんの出身大学は東京大学で文学部の勉強をしていました。
しかし、大学でも学業にまじめに取り組むことはなく、ちゃんと通学したのは最初の2か月だけでした。
その後は、アルバイトやギャンブルに明け暮れるとともにヒッチハイクで日本全国を旅行もしています。
競馬や麻雀にドップリハマってたらしいけど、当時は娯楽が少なかったから、むしろ典型的な大学生だったとも言えるね
大学1年生から3年生まではそんな生活を送っていました。
しかし4年生になり、周囲から内定をもらったといった声が多く聞こえるようになり「ヤバイ」と感じ始めたようです。
堕落した生活から抜け出すためにアルバイトをすることにします。
某山パン工場での仕分け作業や新宿駅でのチラシ配り、炎天下スーツを着て看板を持つバイトなど様々なバイトを転々とし、その際コンピュータ関係企業で定期のバイト職に就いていたのがきっかけで出会うインターネットが人生を大きく変えることになります。
東京大学を除籍
堀江貴文さんが東大中退なのは有名な話ですが、実は自分から辞めたわけではなく、行くのを完全にやめたため自動的に除籍されたそうです。
除籍の通知があったか本人はもう覚えていないそうですが、福岡の実家には教授から連絡があったようで、父親から電話がかかってきたのです。
「中退はダメだ。絶対に卒業だけはしろ」
しかし堀江貴文さんの中では既に中退を決心しており、父親からの話はほぼ聞き流し、結局1997年2月に東大を中退します。
この時、大学4年生でした。
えー絶対卒業したほうがいいのに! お父さんの話も無視するしなんて身勝手なの!
まぁ大学には全部合わせて100日も言ってないって本人が言ってたし、このままダラダラ留年するよりもスパッとやめて自分のビジネスに注力することにしたってことだよ
で、でも貴重な東大卒ブランドが・・・
別に卒業してなくても東大出身とは言えるからいいんじゃない
オン・ザ・エッジを起業
1996年4月に、当時まだ少なかったウェブページ制作事業を行う「有限会社オン・ザ・エッジ」を設立しました。
設立メンバーは堀江貴文さん、当時堀江さんの彼女有馬あきこさん、寮の先輩である松尾さんの3人です。
資本金は共に創業した有馬あきこさんの父親から600万円、有馬あきこさんから200万円、堀江貴史さん200万円、堀江さんの父親から100万円の合計1000万円を集めました(全部借金)
この設立後に大学を中退します。
インターネット普及の波に乗り、ホームページの作成や管理などの運営を行う事業を進めます。
その後の内容は結構濃いため、時系列で紹介します。
売上高は初年度から数千万円と好調
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顧問弁護士「東証へ上場して事業拡大してみては?」という助言で堀江社長上場を決意
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このころ飲み会で知り合った女性を事務員として採用し、その女性と浮気
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その女性に子供ができ、でき婚
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有馬あきこさんブチギレ
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有馬さんは会社のパソコンやハードディスクを破壊、会社が修羅場に
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元々事業拡大に反対だった古参メンバーも、この事件をきっかけに有馬さんと離脱。社員30人中10人が一気にいなくなる。
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この出来事をきっかけに堀江さんは吹っ切れる
ビジネスに感情や恋愛は持ち込まず、一緒に仕事する者に求めるのは結果と数字、能力が低いと判断した者はあっさりと切り捨てるといった完全功利主義の経営者となります。
浮気してしかも子供作るなんてサイテー!! 設立から一緒に頑張ってきた彼女を裏切るなんて信じられない!!
当時ホリエモンは若かったし女性慣れしてなかったというのもあるんだろうけど、一番大きな原因は家でも職場でもずっと有馬さんと顔を合わせていたことに疲れてストレスが溜まっていたらしいよ
起業してから
ライブドア社設立まで
2002年に経営破綻した会社の営業権を取得し、2004年にライブドア社に社名変更します。
社名の知名度向上に悩んでいた堀江貴文さんは、倒産前に60億円の広告費をかけていたライブドアに目を付け、わずか1億円で営業権を取得することができました。
この思惑は功を奏し、これを機に「ライブドア」という社名は有名になっていきます。
たしかに「オン・ザ・エッジ」より「ライブドア」の方が語呂がいいし覚えやすいですね
「ライブドア」の方が確かに覚えやすいしなんかカッコいいよね
会社の規模・業績を上げて地道に知名度を高めるんじゃなく、すでに知名度の高い社名を使うという機転の良さはさすがホリエモン
どんな失敗があった
証券取引法違反により、2006年4月14日に上場廃止
2004年9月期年度の決算報告として提出された有価証券報告書に虚偽の内容を
掲載する疑いが持たれるなど証券取引法等2つの罪で起訴され、
堀江貴文さん含む当時の取締役等が起訴されました。
最後まで無罪を訴えたが裁判で懲役2年6ヵ月が言い渡されてしまいます。
のちにライブドア事件と言われるようになりました。
しかし堀江貴文さんのすごいところは、刑務所に服役してもなお、本の執筆やリアル獄中生活のメルマガ配信を行うなどアグレッシブに活動していたことです。
普通は捕まれば世論の目が気になるため、おとなしく過ごしますが、堀江貴文さんは逆に刑務所生活を貴重な体験・売名のチャンスと言わんばかりに活動します。
有名なのが、堀江貴文さんのツイッターは服役中も更新され続けたことです。
もちろん刑務所内はネット禁止のため、発言は堀江さんのものですがツイートは別の人が行っていたそうです。
この行為が良くか悪くか話題となり、堀江貴文さんへの注目がより集まるようになりました。
刑務所に入っている間もツイッターするなんて図太い神経してますね~
これで有名になった分アンチもだいぶ増えちゃったみたいだけどね…
球団買収計画失敗
2004年大阪近鉄バファローズ買収を申し出ました。
買収の申し出を拒否されると、それまでになかった東北に新球団を設立する計画を発表します。
「仙台ライブドアフェニックス」とし、監督として「トーマス・オマリー」を招くと発表しました。
「楽天」の参入もあり経営体力の不足を指摘され、審査の結果「楽天」の参入が決まりました。
裏話として、ご本人が「ぼくが「ミス」をしたから…ソフトバンクの孫さんも、楽天の三木谷さんも、先に当時読売ジャイアンツのオーナーだった渡辺恒夫氏に挨拶に行ってから発表している」と明かしていました。
日本放送買収失敗
2005年2月ライブドアがニッポン放送の株を35%取得、ニッポン放送の最大株主になりました。
その後2月21日に40.1%取得しましたが、2005年4月ライブドアの所有するニッポン放送株式すべてをフジテレビジョンが取得したことで買収は失敗しました。
衆議院議員選挙に出馬するも落選
2005年衆議院の解散に伴う総選挙で無所属として亀井静香氏の選挙区である広島6区で立候補すると発言しました。
選挙の結果は亀井静香氏11万票に次ぐ8万4千票で落選しました。
こうやって問題を解決した
堀江貴文さんの名言として「失敗しても命までとられることはない。ゼロになるだけ。」「俺の中に失敗はない。失敗したことなんてすぐ忘れる。だから俺の中では失敗じゃないんだよね。失敗とかっていうものはない。」と語られています。
問題の「解決」というよりは、失敗ならば次へという印象を受けます。
堀江貴文さんの根本に「多動力」という考え方があったのかもしれません。
「一つの仕事をコツコツと」では負け組になると本人も語っています。
堀江貴文(ホリエモン)さんの名言
「失敗しても命までとられることはない。ゼロになるだけ。」
「誤解を恐れずに言えば、稼いでいる社長は「バカ」か、ものすごい頭のいい人のどちらかで、ほとんどはバカです。バカだからリスクや未来に怯えない。失敗してもすぐ忘れてしまうから何度でも挑戦する。成功するまで挑戦するから、成功者になるのです。」
「多くの人は粘り強くコツコツと努力することが好きだ。粘り強くやっていればいつかはうまくいくなどと考えるのだろうか実際はそんなことはない。ダラダラと続けていても成功の確率は低いままだ。むしろ、スパッとあきらめて新しいことに力を尽くしたほうが成功の確率が高まる。」
現在は様々な分野で活動する実業家
- 実業家
- コンサルタント
- プログラマー
- 作家
- コメンテーター
- タレント
- エンターテイメントプロデューサー
- ロケット開発者
- 飲食店プロデューサー
- 予防医療普及協会
- などなど
実業家として様々な事業に参加しています。
サイバーエージェントの藤田晋さんと共同で著名人グループトークアプリ「755」を立ち上げ、後に、宇宙開発事業に携わる。
有料メルマガの配信 会員約15,000人
オンラインサロン 会員約1,500人と言われています。
その他にも書籍・コンサルタント活動や講演活動等
幅広い分野で今もなお、活躍されています。
最近はAbemaTVでよく堀江さんを目にしますね!
まとめ
堀江 貴文さんについて書いてきました。
興味があることへの集中力や、興味を持ったことはやってみる。
その行動力にはすごいものがあります。
堀江 貴文さんの名言の中でNo1と言われているのが「未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ。」と言うものです。
今後もご自身でこれを実行していくのではないでしょうか。
今後の活躍も楽しみです。
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