Microsoft(マイクロソフト)創業者のビル・ゲイツとは?経歴と名言まとめ【起業家】

ビルゲイツ起業家

マイクロソフトと聞くと『ビルゲイツ』と連想する方も多いのではないでしょうか。

そんなビルゲイツについてご紹介していきます。

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ビルゲイツとは

人物

名前:ウィリアム・ヘンリー・“ビル”・ゲイツ3世

生年月日:1955年10月28日

出身地:シアトル

趣味:掃除機集め

生い立ち

父は弁護士、母は元教師という裕福な家庭に育ちました。

聖歌隊で歌ったり、ボーイスカウトにも入っていました。

IQが160だったといい、優秀な成績で小学校を卒業しています。

中学・高校時代

レイクサイド校で試験的に導入されたテレタイプ端末を使うことでコンピュータに興味を持つようになりました。

その頃にDECのPDP-10への接続サービスを開始する会社があり、夜間と週末にコンピュータをゲイツに無料で使用させ、負荷耐性のテストを行っていました。

その後その会社は倒産してしまい、ゲイツがコンピュータに触れる機会を失います。

1970年にインフォメーション・サイエンス・インクという会社からCOBOLでの給与計算システムの作成を請負い、開発費の代わりにPDP-10の使用権利を手に入れました。

高校生になり、高校の先輩で、ワシントン州立大学の学生だったポール・アレンと「トラフォデータ」という名前で交通量計測システムを作成しようとしました。

トラフォデータはチーム名にすぎず、このビジネスは大学生になっても続けたが、大きな利益をあげることはできませんでした。

大学時代

大学生になったゲイツは応用数学を専攻します。

1974年、大学を休学し、コンピュータ関係の仕事をしようと考えていたアレンから「アルテア8800」の記事が載っていることを教えられます。

ゲイツとアレンはアルテアを動かすBASICソフトを作成することを思いつきます。

アルテアを販売していたMITS社に「BASICソフトを開発中で、もうすぐ完成する。伺ってお見せしましょうか。」とまだ着手もしていない状態で電話をかけ、MITS社長エド・ロバーツは「動作するBASICを最初に持ってきたものと契約する」と答えました。

ゲイツとアレンはアルテアの実機を持っていなかったのでアレンはハーバード大学に置いてあったPDP-10でアルテアをエミュレートするプログラムを先に作りこれを使ってBASICソフトの開発を行いました。

8週間の必死のプログラムの結果、MITSでのデモに成功し、1975年アレンはMITSの社員となりました。

その後ゲイツは夏休みになるとアレンのもとにやってきて改良等を手伝いました。

しばらくその状態が続き、1977年にゲイツは大学を休学し、ゲイツとアレンの間でパートナーシップに関する合意書を交わしました。

学歴

1967年 シアトル私立レイクサイド中学・高校に入学

1973年 ハーバード大学に入学

1977年2月 ハーバード大学休学から中退

経歴

1981年 本格的にポール・アレン、スティーブ・バルマーとマイクロソフト社を設立

1990年 Windows3.1発売

1995年 Windows95発売。インターネットエクスプローラーが標準掲載された。

1998年 Windows98発売

2000年 CEOの職を譲り、会長職に就く

同年  「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」を創設

2014年 会長職を退く

「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」で慈悲活動をしている

マイクロソフトの歴史

1975年にMITSにBASICソフトで契約を得た時をもって創業とされることもありますが、実際には1975年には「マイクロソフト」という名前も存在しておらず、法人も存在していませんでした。

「マイクロソフト」という名前は1975年にアレンが考え、正式に文章に残る形では、1975年MITS社長のエド・ロバーツがアルテアの広報誌の為に書いた記事内に「Micro-soft」を含む名前がありました。

この頃の「マイクロソフト」はただのチーム名に過ぎない扱いになります。

「マイクロソフト」を正式にパートナーシップによる経営としてゲイツとアレンが契約書を交わすのは1977年になってからです。

まだこの時点でもパートナーシップによる経営体で、法人ではないため正式には「マイクロソフト社」ではありません。

「マイクロソフト」はMITS以外からも依頼を受けマイコン向けにBASICソフトを開発するようになりました。

1979年 ワシントン州のベルビューに移転

1980年 スティーブ・バルマーが参加

1981年6月25日ワシントン州の法人企業となり、ゲイツは社長兼会長アレンは副社長になりました。

ゲイツは倹約家

世界一の大富豪といわれるゲイツですが、本当はすごく倹約家なことをご存じですか?

プライベートジェットも持っているのですが一般旅客機を使う際は極力エコノミーを使用します。

来日した際に日本法人のスタッフからファーストクラスのチケットを渡されると「日本のマイクロソフトはこんな無駄遣いをする会社なのか!!1時間ちょっとのフライトになぜそんな無駄に会社の金を使うんだ!!!!」と激怒しました。

さらにホテルに泊まるときも、どんな部屋を用意しても「こんな大きな部屋はもったいない!寝る場所があって、インターネットに接続できたらそれでいい。」とたしなめることが多かったそうです。

そんな一方プライバシーを守るためにはしっかり、使うようです。

ハワイのラナイ島で自身の結婚式を挙げた際に、ラナイ島のホテルの部屋を250室全て貸し切り、付近のすべてのヘリコプター、フェリーをチャーターしたそうです。

地域の住民4000人以上をこの結婚式のために雇用する形をとり、海岸でマスコミが来ないか警備してもらったり、家に滞在してもらうことで邪魔させないという徹底ぶりだったそうです。

ゲイツの結婚

ゲイツは学生時代にはほとんどデートをしたことがなかったと言われています。

一方で、近くのストリップ小屋には足しげく通ったとも言われています。

1987年にマイクロソフトに入社してきた「メリンダ・フレンチ」という女性と出会います。

1988年に付き合いだしますが、それでも手広くいろんな女性と関係を持っていました。

ゲイツの手広い女性関係は有名でしたが、ゲイツ自身が各報道機関に個人的な関係を報道することを禁じていたため、マスコミにはそれほど登場しなかったそうです。

結婚前にはストリップ小屋からかわいい子ばかりを連れてきて「独身さよならパーティー」を開催したともいわれています。

1994年に盛大な結婚式を挙げ、結婚しました。

結婚後1996年までメリンダはマイクロソフトで働き続けました。

子供は3人おり、娘が2人と息子が1人います。

1996年4月生まれ 長女ジェニファー

1999年5月生まれ 長男ロリー

2002年9月生まれ 次女フィービー

長女ジェニファーは小さいころから乗馬を習い、馬術競技の選手として活躍しました。

スタンフォード大学を卒業し現在はニューヨークのマウントサイナイ医科大学で学んでいるそうです。

長男ロリーはシカゴ大学に進学し政治学を専攻、次女フィービーは高校在学中です。

ゲイツは運転好き

ゲイツは車の運転が好きで、しかもスピードを出すことが好きだそうです。

会社から自宅への車の運転をしていたとき、スピード違反で切符を3回も切られたことがあります

更に交通案件専門の敏腕弁護士まで雇っていたこともあるそうです。

IBMのOS開発

当時IBMは企業用の大型コンピュータを作成していました。

今後個人で使えるコンピュータの時代が来ることは確実でした。

そのためApple社も独自規格のパソコンの開発し、IBMも焦っていました。

そこで、OSの自社開発を断念し、依頼が来たのが「マイクロソフト」でした。

しかし、納期は3か月でかなり厳しい条件でした。

1からの作成では間に合わないと判断し、シアトル・コンピューター・プロダクツが開発した

QDOSを買い取り、それをIBMのパソコン用に改良し、PC-DOSの名前で納品しました。

そして、そのPC-DOSを売るのではなくライセンス契約を結びます。

ここにゲイツのビジネスセンスが出ていると思います。

1つ売れるごとにマイクロソフトにお金が入ってくる仕組みを作り出します。

さらにPC-DOSにマイクロソフトのMSを付けたMS-DOSを開発し、

それを他社とライセンス契約を結ぶこともIBMに了承させました

それからIBMはパソコンの仕様書を公開します。

IBMの狙いとしてはソフト会社が実用的なソフトウェアを開発してくれる。

そうすれば顧客がいろいろできるらしいと興味を持つ。

そしたらIBMのパソコンも売れるということでした。

同じ互換機なのでマイクロソフトのMS-DOSが動くのです。

ほかのOSよりも価格を安くしていた為ほとんどがMS-DOSを選ぶことになり、IBMのパソコンが売れようが他社の互換機が売れようが使えるパソコンが売れるたびにマイクロソフトにお金が入ってくるという仕組みを作り出しました。

さすがゲイツ!!としか言えない経営戦略です。

パソコンを一般的に普及させたWindows95

Windows95で新しく登場したのがスタートメニュー・タスクバー・TCP/IPでした。

今や当たり前のスタートメニューやタスクバーはここが始まりでした。

TCP/IPがインターネット環境の事です。

ここまでのパソコンではインターネットに接続できなかったということです。

スペックも現在の1/1000くらいの能力になりますので

私たちにはまだまだ考えられない世界ですが、当時にとってはとんでもない快進撃でした。

現在もWindows95マニアが存在するほどです。

しかし、インターネットとはいっても常時接続なわけではなく、電話回線で必要なときのみ接続するという形でダイヤルアップ接続といわれていました。

通信速度は現在のスマホ約100Mbpsに対して約28.8Kbpsということなので相当遅かったと思われます。

長年のライバル ゲイツとジョブズ

30年以上の付き合いの中で同盟を組んだこともあれば、憎しみ合うライバル同士だったこと、時には友人のような関係だったりすることもありました。

しかし、マイクロソフトがWindowsを発表すると不安定だった関係が一気に崩れました。

ジョブズはマイクロソフトが丸ごと全部盗作したと激怒しました。

ゲイツは、アップルがグラフィカルインターフェイスのインスピレーションをゼロックスのPARCからもらった事を分かっていました。

ゲイツはジョブズに「どちらかというと、ゼロックスっていうお金持ちの家があって、僕がTVを盗もうとしたら君が盗んだ後だったってことじゃないか。」

といったそうです。

ここからの二人は対戦モードに入ります。

ジョブズは「とにかく彼らは僕らを丸ごと全部盗んだ。それはゲイツが恥知らずだからだ。」とまで言いきりました。

2人の意見が一致することは少なかったですが、ゲイツはジョブズを尊敬していました。

AppleがiTunesを発表した際にはゲイツはマイクロソフトの社員にこんなメールを送ったといいます。

「重要なことだけにフォーカスできること。彼がイメージしたユーザーインターフェイスを作り上げるために他の社員を動かせること。製品を革新的なものとしてマーケティングできること。ジョブズのこれらの能力はすばらしく、感心する。」

更にiPodを発表した際にはまたも社員にメールで「今回もジョブズにやられたが、我々も彼らを追い越す仕事ができる。そのためのプランを考えるべきだ。」といっています。

2007年にカンファレンスで一緒に登場した際にゲイツは「スティーブのセンスが身につくなら何でもするよ。」と発言しており、ジョブズは「彼が作り上げた見事な会社を思うと、彼を素晴らしいと思う。一緒に仕事をするのは楽しかった。彼は聡明であり、本当はいいユーモアのセンスを持っている。」と発言しています。

奇妙にねじれた形ではありましたが、明らかにお互いを尊敬していました。

ジョブズが亡くなった後「30年近く前に出会い、人生の半分以上、同士であり競争相手であり友人だった。スティーブのような深い影響力を与えられる人間はめったにいない。その影響はこれからの多くの世代に受け継がれるだろう。」と表明しています。

ビル&メリンダ・ゲイツ財団での活動

ゲイツ作った慈悲団体で、財産管理は主に妻のメリンダが行っており、寄付する際の検査は厳格に調査していると公表しています。

2006年に夫妻の死後50年以内に財団の資産を使い切って活動を終えると発表しており、「取り組んでいる問題を今世紀中にめざましく進展させるため」と存続期間を限定した理由を明らかにしています。

途上国のエイズ、マラリア、結核の根絶や教育、貧困、保険、介護、子育ての水準の改善に力を入れており、今後はさらに寄付を拡大する方針も明らかにしています。

2020年3月にマイクロソフト取締役を退任

マイクロソフトは2020年3月13日、ビル・ゲイツ氏が取締役を退任すると発表しました。

ビル・ゲイツ氏の名言

「スピードこそが企業にとって最も重要になる。」

「問題は未来だ。だから私は、過去を振り返らない。」

「私は起業家という言葉をいつも拒否してきました。『会社を始めよう、何の会社にしようか』では決して成功はないと思います。」

まとめ

いかがでしょうか。

プログラミングの才能はもちろん、ビジネスのセンスに長けており、ライセンス契約の見本を作ったと言われています。

ビジネスで大成功を納め、早々に次世代に引き継ぎ、慈悲活動に専念する。

ゲイツがいなければ今のマイクロソフトは存在せず、ジョブズというライバルがいた為、これほどの発展があったのではないでしょうか。

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