楽天創業者の三木谷浩史とは?経歴と名言まとめ【起業家】

三木谷浩史起業家
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三木谷浩史とは

名前:三木谷 浩史

生年月日:1965年3月11日

出身地:兵庫県神戸市

生い立ち

6歳まで神戸市にあった神戸商科大学職員住宅で過ごしました。

7歳の時に父がイェール大学研究員に就任した為、家族で渡米し2年程アメリカで過ごした後、アメリカの小学校から、明石市の小学校へ転入しました。

中学校へ進学の際、岡山県の岡山白陵中学校へ入学し、実家から離れ寮生活を送りました。

この学校がスパルタ教育の為、ノイローゼにかかり、2年生の6月に退学しました。

その後、実家に戻り明石市の中学校へ転校しました。

明石市の高校を卒業後、1年浪人生活を送り、一橋大学商学部へ入学します。

経歴

1988年 日本興業銀行(現みずほ銀行)入行

1991年 ハーバード大学に留学

1993年 MBA取得

1995年 日本興業銀行退職

同年  クリムゾングループ設立

1996年 株式会社クリムゾングループ代表取締役社長就任

1997年 株式会社エム・ディー・エム設立

1999年 株式会社エム・ディー・エムより楽天株式会社に社名変更

2002年 5月株式会社ネクスト取締役就任

    6月カルチュア・コンビニエンス・クラブ取締役就任

    8月楽天トラベル株式会社代表取締役就任

2003年 クリムゾングループを通じJリーグ・ヴィッセル神戸を買収

同年  ディーエルジェイディレクト・エスエフジー証券(現楽天証券)会長就任

2004年 1月株式会社クリムゾンフットボールクラブ代表取締役就任

    9月株式会社あおぞらカード(現楽天カード株式会社)代表取締役会長就任

    11月楽天野球団の参入が正式認証

2005年 6月国内信販株式会社(現KCカード株式会社)会長就任

2006年 3月楽天ブックス会長就任

    4月株式会社クリムゾンフットボールクラブ代表取締役会長就任

    9月楽天証券ホールディングス株式会社会長就任

2007年 楽天が傘下に収めることになったフュージョン・コミュニケーションズ代表取締役会長就任

2008年 1月球団オーナーを退き、株式会社楽天野球団取締役会長就任

    9月イーバンク銀行(現楽天銀行)株式会社取締役会長就任

2009年 財団法人東京フィルハーモニー交響楽団理事就任

2010年 ビットワレット株式会社代表取締役会長就任

    2月一般社団法人eビジネス推進連合会会長就任

2012年 1月コボ者取締役就任

    8月東北楽天ゴールデンイーグルス球団会長兼オーナー再就任

2019年 日本プロ野球オーナー会議議長

起業を志すきっかけ

日本興業銀行に就職した当初、大企業に勤めてそこで出世するのがビジネスマンの王道であり、三木谷氏も当然同じ考えでした。

しかし、アメリカへの留学で多くの価値観に触れることで人生観が変わっていきます。

アメリカの考え方はまるで違い、自ら起業する人が優れたビジネスマンの王道であり、自分で起業できない人が大企業に勤めるという空気さえあったといいます。

このマインドが充満した雰囲気に身を置くことで、自らも企業を立ち上げるのだという覚悟のようなものが育っていったと語っています。

そして、起業家マインドを身に着け帰国した三木谷氏は会社の制度で留学した手前、5年は辞められないという思いで復職します。

そんな時、出身地である神戸が阪神淡路大震災に見舞われ、親族や友人を亡くしてしまいます。

そして、1週間ほど被災地にいる間に起業を決意することになります。

いつかは自分で何かやるのだと漠然と思っていたが、「いつか」ではなく「今」なんだと強く感じたといい、「とてつもないことが突然にして起こるものなのだ、と思いました。」と語っています。

この震災で、人生は短く、時間は有限であることを目の当たりにし、「いつか」ではなく「今」やるべきことをしないといけない。と再認識したといいます。

ここからの動きは早く、日本興業銀行を退職し、同年にクリムゾングループを設立します。

クリムゾングループ設立

1995年、三木谷氏はコンサルティング会社として設立します。

ソフトバンクによるコムデックスやジフデービスエクスポの買収、衛星多チャンネル放送ディレクトTVプロジェクトなど大型案件のファイナンシャルアドバイザーを務めました。

その後、この会社が母体となり現在の楽天の源流にあたるエム・ディー・エムを設立していきます。

エム・ディー・エム設立

楽天の前身である株式会社エム・ディー・エムが従業員わずか6名で設立されました。

その年の5月「楽天市場」が開設されました。

開設時の出店店舗はわずか13店舗でした。

楽天といえばインターネットサービス企業だと思われる方が多いと思いますが、当初検討していた事業はインターネットショッピングだけでなく、100を超えるアイディアがあったといいます。

その中から元手がかからず、将来性があり、社会に新しい価値を生み出すことができると考え、インターネットを使ったショッピングモール事業を行うことに決めました。

「楽天市場」の開設にあたり三木谷氏は4つの仮説を立てます。

「インターネットは、もっと簡単にもっと便利になる。」

「インターネットは爆発的に普及する。」

「日本人はインターネットでモノを買うようになる。」

「インターネットで流通が変わる。」

当時の日本は通信速度がとても遅かったため、今では当たり前に思うこの仮説を、多くの人が信じていなかったといいます。

創業メンバーは可能性をとても信じており、インターネットの力を使って、地方の商店や大きな店舗を持たない個人商店でも全国規模で展開する大企業と同じ土俵で戦えるようにしたいという情熱を持っていました。

楽天市場の由来

事業コンセプトと通じる名称として、明るく前向きな意味の「楽天」という言葉に、織田信長が始めた誰でも自由に商売できるようにした経済政策「楽市・楽座」に、より人々が集まった「市場」を組み合わせて生まれました。

楽天のプロ野球参入

2004年に出たプロ野球再編問題の渦中、新規参入としてかねてから近鉄買収に名乗りを上げていたものの、果たせなかった堀江貴文氏率いるライブドアとライブドアに続く二番手として楽天が名乗りをあげ「IT戦争」と大きな話題になりました。

楽天は宮城県をフランチャイズとする新球団の加盟を申請し、新球団名を「東北楽天ゴールデンイーグルス」と発表しました。

当時の世論は「この問題の突破口を開く形を作った。」「近鉄の救世主」とライブドアを支持する意見が多かったものの、実際には楽天の正式参入が承認されました。

プロ野球界では、新球団の誕生は50年ぶりの出来事となりました。

新規参入決定後近鉄とオリックスの選手を合併球団「オリックス・バファローズ」と新規球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」に振り分ける「分配ドラフト」が行われ40選手の楽天入団が決まりました。

「ゴールデンイーグルス」の名称は東北地方の世界遺産・白神山地に棲息するイヌワシにちなんでいるようです。

チームの新本拠地となる宮城球場は老朽化がひどかった為、楽天の出資により、プロ本拠地としての使用に耐えうるよう、2年計画で増改築されることが決まりました。

楽天株式会社と東京放送

三木谷氏は東京放送との経営統合を提案しており、東京放送の株式を買い増し、保有比率が19%になったと発表しました。

15%の保有が明らかになった際に東京放送側は買い増ししないように楽天側に要請していました。

これを無視した形になり三木谷氏は「東京放送の要請に対して、お約束できませんと伝えている。」とし、東京放送の反発は避けられず、両者の全面対決になる可能性が高まりました。

三木谷氏は「経営統合を成就するためには双方の株主の賛成がいる。株主の中には反対する人もいる。我々は賛成側なので15%より、19%の方が可能性が高くなる。」と買い増しの理由を説明しました。

「市場性のあるものをどうして買ってはいけないのか。価値があるので市場のルールにのっとり、買い増した。」というスタンスを強調しました。

東京放送によると両社は以前から何度か連携の交渉をしてきたといい、前向きに楽天との連携を前向きに検討してきたといいます。

しかし、資本連携を前提に考える楽天の三木谷氏と業務提携のみを模索する東京放送との交渉は折り合わず協議が中断していた中の出来事だっただけに反響は大きかったようです。

結局は、東京放送が買収不可能な放送持株会社に移行したため楽天は「反対株主の株式買取請求権」を行使して、全株式を売却することで決着しています。

三木谷浩史の結婚

1991年三木谷晴子氏と結婚し、息子が一人います。

晴子氏の経歴も華々しく、父親は農水省の元官僚であり、上智大学に進学し、在学中にアメリカへの留学も経験しています。

三木谷氏と晴子氏は日本興業銀行のテニス部で出会い、社内恋愛を経て結婚しました。

「楽天市場」が誕生したのも晴子氏の鋭いビジョンがあったおかげだったともいいます。

当時広報を担当していた晴子氏は「情報はモノ、新鮮な情報を提供することが今後の成長のカギ」というビジョンを打ち出して新規顧客を開拓しました。

「なんでも揃うショッピングモールにする」というビジョンを持って「楽天市場」の拡大に尽力し、現在のようなマーケットを作り上げることに成功しました。

その後、晴子氏はフレンチレストランを経営していましたが、現在は「オーナーの都合により閉店」となっているようです。

息子さんについての情報はあまり出ておらず、名門の慶應義塾に通っているそうです。

三木谷浩史の人柄

少年時代から三木谷氏は勉強をしなかったそうです。

成績は良くなかったものの、本人は全く気にしませんでした。

気にしないから勉強することもないので、成績も上がらないということだったようです。

三木谷氏には非常に優秀な姉と兄がいましたが、2人に対してコンプレックスを抱くこともなかったようです。

ご両親も「本人がやりたくないものを無理矢理にやらせても」という思いもあり、成績を気にかけることなく、のびのびと育ちました。

そんな両親が重視していたのは「物事の本質を考えること」

家庭内では「空はなぜ青いか」「人生とは何か」「ゼロとは何か」といったディスカッションが日常的に行われていたといいます。

通知表の教師の所見の欄には「授業中の落ち着きを欠く」や「ノートの利用が乱雑」「忘れ物が多い」などといった言葉が並んでいます。

長所の欄には決まって「子供らしく、明るく過ごせました。」と書かれていたといいます。

つまり、「子供時代は子供らしい子供で自分のやりたいことしかやらず、遊んでばかりいた。」ということです。

三木谷浩史が語る起業家に必要な心構え

楽天はブランドコンセプトとして「大義名分」「用意周到」「信念不抜」「一致団結」を挙げています。

必要なことはこの5つに集約されるでしょう。

ビジネスの規模は小さくてもいいのです。

大切なのは「大義」を考えること。

よく「〇〇年までに株式上場するのが目標」という経営者がいますがあくまで上場は、手段。

質的な工場も量的な拡大もかまいませんが、そもそも「世の中にどんな価値を提供するのか。」という本質を熟考するべきです。

と三木谷氏は語っています。

楽天の現在

現在、国内に17か所程の支社があり、海外にもアジア、ヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに事業展開しています。

70以上のサービスを国内外で展開しており、楽天市場への出店店舗も2019年6月時点で47,300店を超えています。

2019年4月にグループ内再編成を実施したり、9月には台湾のプロ野球チーム「ラミゴ・モンキーズ」を買収し、2020年シーズンから台湾プロ野球リーグに参入したりすることを発表しています。

三木谷浩史の名言

「常識で考えることがいかに不合理かを肝に銘じよう。常識とは多数派の理論に過ぎない。」

「ビジネスで成功するかどうかの鍵は、結局のところ仕事を人生最大の遊びにできるかどうかだ。」

「意味のない自己顕示欲や、思い上がりは捨てたほうがいい。結局のところ、最終的に成功するのは、謙虚に学べる人なのだ。」

「僕はよくリスクテイカーだと言われます。でも本当はそうじゃない。限りある自分の人生を精一杯やったのだと思いたいだけ。人生を後悔するという最大のリスクを回避しているのです。」

止まることがない三木谷浩史

ご両親の教えから学んだ「そもそも論」を考え抜く習慣は、楽天創業時にも生きたといいます。 話し合いを重んじる楽天の社風はじめ、三木谷氏がのびのびとした家庭で育ち体得した価値観、確固たる自信、そして眼力があったからこそ、現在の楽天グループが出来上がり、さらに今後も世界に喜びと楽しさを届けてくれることを心待ちにしています。

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