ラリー・ペイジとは
人物
名前:ローレンス・エドワード・ラリー・ペイジ
生年月日:1973年3月26日
国籍:アメリカ合衆国
生い立ち
計算機科学・人口知能教授の父と、コンピュータプログラミングの教師の母のもとに生まれました。
自宅はコンピュータとテック系の雑誌であふれており、ペイジは幼少期からそういったものに魅了されていました。
6歳のころからコンピュータを触り始め、両親はモンテッソーリ教育の学校へペイジを通わせました。
その教育プログラムは、自立心や創造性を育むと言われています。
ペイジ自身「ルールや慣例にとらわれず、自発的に行動し、世界で起きていることに関心を持つあのトレーニング」が自らの仕事に対する姿勢に影響していると後に語っています。
12歳の時、ペイジは天才発明家ニコラ・テスラの伝記を読み、借金を抱えて人知れず亡くなる結末に涙を流したそうです。
その時に、世界を変える技術を生み出すだけでなく、それを広める方法に気づくビジネスセンスを得ようと考えるようになりました。 「発明するだけではだめだとわかった。何としてもそれを世に送り出し、人に使わせ、何らかの成果を生まなければならない。」と語っています。
大学時代
ミシガン大学へ進学し、在学中に交通機関の将来について考えるようになります。
ソーラーカーチームに参加し、各キャンパスをつなぐモノレール型の個人高速交通システムの建設を大学に提案しました。
卒業後、博士号取得のためスタンフォード大学に入学します。
その時にスタンフォード大学計算機科学に在籍していたセルゲイ・ブリンと出会い、2人すぐに意気投合しました。
経歴
1998年 Google設立
2001年 CEO退任
2011年 再度CEO就任
2015年 CEO退任 AlphabetのCEOに就任 2019年 Alphabet CEO退任
Google立ち上げまで
1996年スタンフォード大学の博士課程に在籍するペイジとブリンの2人による研究プロジェクトとして始まります。
当時の検索エンジンは、キーワードがそのウェブページに登場する回数によって各ページを位置付けし検索結果として表示していました。
ペイジとブリンはウェブサイト同士の関係を分析することで検索結果を位置付けする、改良された検索エンジンの理論を訴えました。
ペイジとブリンが理論化した新しい検索エンジンは検索におけるウェブサイトの適合性を判断する際に、そのサイトへのリンクを貼っているウェブページの数と、重要度、品質を評価するもので、この新技術を「PageRank」と名付けました。
最終的に「googol」という数の単位にちなみ検索エンジンを「Google」と名付けました。
1googolは1の後に0が100個並んだ値で、それを名前の由来としたのは、「検索エンジンが莫大な量の情報を提供する」「世界の情報を体系化し、誰でもアクセスして使えるようにする。」という使命を表現しているようです。
Google設立
1998年9月にGoogleは法人格を取得しました。
会社組織としての拠点はペイジらの友人が所有するガレージに置かれました。
スタンフォード大学の博士課程での同輩だったクレイグ・シルバースタインが最初の従業員として雇われました。
エリック・シュミットCEO時代
シリコンバレーで有名な投資家のクライナー・パーキンス・コーフィールド・アンド・バイヤーズとセコイア・キャピタルはGoogleに5000万ドル投資することに合意しました。
多額の出資金を得る中で、問題が発生します。
「CEOが若すぎるのではないか」ということです。
当時ペイジは28歳でIT成功者の中では最年少でした。
その為、出資するにあたり「ペイジがCEOから降りること」「経験豊富なエリック・シュミットをCEOにすること」この2つを条件として提示しました。
その後、ペイジはスティーブン・ジョブズやインテルのアンドリュー・グルーブなどのCEOと面会し、辞任に従うことにしました。
2001年3月にGoogle会長にエリック・シュミットが就任し、同年8月GoogleのCEOに就任するため、ノベルのCEOを辞任し、ペイジはプレジデント・プロダクトに就任することになりました。
シュミットの指導の下、2004年8月に新規上場をし、大きな成長と拡大の時期を迎えることになります。
ペイジはCEOの座を降りたことにより、新しいアイデアを考えることに集中できるようになり、スマートフォンが一般的にまだ普及していなかった2005年に、ペイジは5000万ドルでAndroidを買収し、今後多くの人がスマートフォンを使うようになったときにどこからでもGoogleにアクセスできるミッションを掲げました。
Androidの買収はシュミットの知らないうちに行われていましたが、比較的小さな買収であったため社内混乱は起きなかったそうです。
再度CEOに就任
20011年4月にペイジはGoogleのCEOに再度就任し、シュミットは執行委員長に就任することになりました。
当時の従業員数は24,000人を超えています。
2011年1月にシュミットがCEO辞任の告知した後、シュミットはTwitterに「もう成人の監督は必要なくなった。」と冗談めかして投稿しました。
新CEOとしてペイジは2つの目標を掲げました。
「重要な部門を監督する幹部の、より自律性の発展」と「チーム間における今より高いレベルのコラボレーション、コミュニケーション、団結」でした。
ペイジは社内グループを形成します。後に「Lチーム」と言われメディアにも取り上げられました。
これは一週間のうち一部をペイジのオフィスの近くで業務をこなし、ペイジに直接報告する上級副社長のグループです。
更に、上級管理職を再編成し、YouTube、Googleアドワーズ、Google検索などGoogleの核にとなるサービスのトップにCEOと同じような立場のマネージャーを配置しました。
更にまとまりのあるチーム環境を作るよう、ペイジはGoogle初期の頃とは対照的に「争いゼロの会社であるべきだ」という方針を宣言します。
ペイジはCEOを離れていた10年間に自身の経営思考を大きく変え、「今まで想像さえしていなかった方法で問題を解決したり、全てを包括する新しいマーケットを作り出したりする為にこれまでの10倍成長する必要があり、そのために取締役たちは共に働くという事を学ばなければならない。」と続けました。
また、Google製品やアプリケーションを統合してデザインなどを徹底的に見直すことに力を入れ、プロジェクトを立ち上げ、サービス、デザインの統一を図りました。
ペイジは「未来はどこに向かい、Googleは何を作り出すのか。」と自問自答しGoogleファイバーを提供したり、スマート火災警報器の開発元を買収したり、Calicoを設立したりしました。
バイオテクノロジー分野の研究開発
2013年9月バイオテクノロジー分野の研究開発として「Calico」という独立した研究機関を立ち上げました。
人間の健康分野における革新として改善を目指しているといい、Appleの取締役会長のアーサー・レビンソンが新しい部門のCEOとして任命されました。
ペイジは「病気や加齢は家族全員に影響を与える。長期的にはヘルスケアやバイオテクノロジーまわりに焦点を当てたものとなり、何百万人の人々の生活の改善ができるようになるとおもう。」と述べています。
様々なビジネスが介入しているように見えますが、それには重要な目的がありました。
ペイジが思い描いているのは「触れるものは全て人工知能を持つコンピュータと接続しており、人工知能は我々が自分で必要なことに気づくよりも早く何が必要かを認識する。」という世界です。
そういう世界になった時、Googleの根幹である検索エンジンが中心となっているので「完璧なエンジン」を作り出すために、様々な分野に手を伸ばしているというわけです。
ラリー・ペイジと病気
2013年にGoogle+上で14年ほど前にひどい風邪をひき声がかすれた。風邪が治ってもかすれ声が治らなかったので病院に行ったところ左の声帯が麻痺していると診断された。
昨年同じ症状がまた出て、診断を受けると原因はわからないが、右の声帯の動きが低下していると言われた。
麻痺の原因を探すうえで甲状腺も検査し、その際に橋本病と診断された。
橋本病は一般的には良性の甲状腺の炎症でこれ自体困ることはない、これが声帯麻痺の要因なのかウィルスが引き起こしたのかはわからない。と発表しました。
さらにアメリカボストンにある声帯健康機関の声帯神経機能研究プログラムにかなりの金額を寄付したことも明らかにしました。
四半期決算発表や業績発表の際はささやくような声しか出せなかったといいます。
長く話し続けることも難しいようです。
日本でのGoogle
2001年8月にアメリカ国外で初めての現地法人として設立されました。
Google公式ブログでしばしば日本法人が開発にかかわる報告をしています。
GoogleJapan本社は六本木ヒルズにあり、和をコンセプトにした作りだそうです。
自由な個別スペースが多く設けられており、キクやケヤキ、サクラなどの名前が付けられています。
2019年では日本におけるトータルデジタルでの日本の人口に対する利用者数が56%となり、日本人の過半数が毎月Googleを利用していることになります。
Googleのサービスも多岐にわたり今後も新しいサービスがどんどん増えていくのが楽しみです。
ラリー・ペイジの結婚
2007年にルシンダ・サウスワースと結婚しました。
カリブ海に浮かぶ個人所有の島を借り、600人を招待して盛大な結婚式を挙げました。
2人の子供に恵まれ幸せな家庭を築いています。
Alphabetの創設
ペイジは2014年10月に大規模な経営再編を告知し、ペイジ自身はGoogle関連のサービスに関してあまり意思決定をすることはなくなるだろうと公表しました。
今後、Googleの主要サービスは真っ当な経営方針で進められ、ペイジはバイオテクノロジー事業やスマートホーム事業、Googleファイバーなど次世代の野心的なプロジェクトに取り組むと述べました。
2015年8月にGoogleは新しい公開持ち会社である「Alphabet Inc.」の設立をGoogle公式ブログにて発表しました。
AlphabetはGoogle、Googleの各子会社をAlphabetへ移しGoogleが対象とする事業を限定して再編するために設立するとされました。
ペイジはこの再編の動機を「Googleをより明確で責任を持ったものにするためである」と言っています。
さらに「行っていることを透明にし、しっかりと見えるようにすることでGoogleのメイン事業には直接関係のない会社をコントロールしやすくしたい。」と語っています。
これを機に、ペイジはGoogleのCEOを辞任し、AlphabetのCEOに就任しました。
ラリー・ペイジ退任後、現在のGoogle
2015年サンダー・ピチャイがCEOの座に着きました。
ピチャイは2004年からGoogleで働き始め、今やGoogleのメインサービスでもある、検索ツールバーやChrome OS、GmailやGoogle Driveなどを担当してきました。
2013年にはAndroid OSの責任者になりモバイル限定だったAndroidをスマートウォッチやテレビ、自動車といった、領域に拡大しました。
ピチャイはペイジの「通訳者」であり、右腕的な存在でした。
派手なリーダーではなく、穏やかであり、共感力に長けていて、ミーティングの際は全員の話を静かに聞き、全員が話終えた後で、納得できるようなアイデアを提案するそうです。
ピチャイは常にチームのメンバー全員に仕事の意義を理解させることを徹底する人物として知られています。
ピチャイの穏やかさは社内でも人気が高く、調査によると回答者の96%から高い評価を得た、最も評価の高いCEOの1人です。
2019年にAlphabetのCEOの座もペイジから引き継ぎました。
2020年の3月27日ピチャイは「コロナウイルスの感染拡大は世界中で悪化し続けており生活やコミュニティーに壊滅的な被害を与えている」と述べ「これらの課題の一部を解決する為、役に立てるよう我々は27日、新たに8億ドル以上を投入し、中小企業、保健機関や政府、そしてこの世界的なパンデミックの最前線で戦う医療従事者を支援することを発表する。」と語りました。
現金やGoogleのプラネットフォームでの広告クレジットという形で提供する予定です。 今後も多くの課題に直面することもあると思いますが、ペイジの考え、ピチャイの人間関係を良好に保つ能力でうまく乗り切っていくのではないでしょうか。
ラリー・ペイジの名言
「少しクレイジーなくらいに、好奇心を追い求め、野心を持ち、夢をあきらめるな。」
「失敗しても構わないが、失敗するなら早くしろ。」
「失敗したらどうしよう?と考える前に自分に自信を持つことから始めてみよう。失敗は失敗で得られるものがあるから悪いことではない。むしろ頻繁に失敗した方が得られるものが多いのだ。」
ラリー・ペイジの今後
ペイジは近年では公の場に姿を現すことが少なくなってきました。
Alphabetの辞任理由としては「Alphabetは今やしっかり確立され、Googleやその他部門は独立した企業として効率的に運営されている。経営構造を簡素化するのが自然な時だ。」と述べています。
しかし、ペイジはまだまだ若いです。
これからの革新、新事業など心待ちにしています。
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