フェイスブックを立ち上げた創業者マーク・ザッカーバーグ。
映画にもなりご存じの方も多いとは思います。
若くしてビリオネアになったマーク・ザッカーバーグをご紹介していきます。
マーク・ザッカーバーグとは
人物
名前:マーク・エリオット・ザッカーバーグ
誕生日:1984年5月14日
生い立ち
歯科医の父と精神科医の母親のもとに産まれ、姉1人、妹2人の6人家族で、ドブスフェリーで育ちました。
皆がやっているから、皆が持っているからという話は父親には通用しなかったそうです。
ただし、自発的にやりたいといったことはとことんやらせてくれる親だったそうです。
その中の一つが中学生の時に使い始めた、コンピュータでした。
父親がBASICプログラミングを教え、その後ソフトウェア開発者のデビット・ニューマンが家庭教師となり、より詳しく学んでいきます。
父親の歯科診療業務を手助けする「ZuckNet」というソフトウェアを開発しました。
家と仕事場のコンピュータ間でのコミュニケーションを可能にしたツールだったといいます。
他にも家でのゲームはザッカーバーグの作ったものばかりだったそうです。
高校時代
フェイシングチームのキャプテンであり、数学、天文学、地理、古文、フランス語、ヘブライ語、古代ギリシャ語を得意として「天才」との呼び声が高かったそうです。
友人のアダム・ダンジェロと音楽再生用フリーソフトウェア「Synapse Media Player」のサービス提供を開始しました。
聞く曲目を予測してくれる機能が高い称賛を受けたソフトウェアでした。
いくつかのソフトウェア社が興味を示しましたが、正式な取引は行われませんでした。
大学時代
すでにプログラミングの天才としての評判は広がっていました。
2年生の時「CourseMatch」というユーザーが他の生徒の選択に基づきクラス選択したり、学習グループを形成できるプログラムを開発しました。
更に「Facemash」と名付けたプログラムを作成しました。
「Facemash」の裏話としてボストン大学に通う恋人と口論になりフラれてしまいます。
そのショックから彼女への腹いせにブログに悪態を書き込んだ上に、「Facemash」という女学生の写真が映し出され、投票によるランキングを出すプログラムを一晩で作り上げました。
そのプログラムがあまりに人気がでてしまい、ネットワークスイッチが圧迫され学生がインターネットにアクセスできなくなったため、大学側にシャットダウンさせられてしまいます。
更に多くの学生から写真を無断で使われていると苦情がきてしまい、大学の半年間の保護観察処分を受けることになってしまいました。
当時の学生にとってフェイスブックとは顔写真付きの名簿のことで、仲間で集まり名簿を見てお気に入りの異性を探すのは学生にとって最高の暇つぶしでした。
このフェイスブックのデジタル化を学生たちは要請し、大学側も要望に応じようとしていましたが、作ると言いながらいつまでたっても製作しようとしません。
それなら自分で作ってしまおうと考え2004年2月「The facebook」というサイトを立ち上げました。
Facemashの失敗があるのでプロフィールや写真は学生自身でアップロードさせる仕組みにしました。
人気は大爆発で、サービス開始から1か月でユーザー数1万人を突破しました。
当初、ハーバード大学の学生だけが対象でしたが、他大学生、高校生へと普及していき、やがて一般の人々も使うようになっていきます。
2010年に5億人、2012年10月には10億人というユーザー数を記録しています。
経歴
アーズリー高校に入学
フィリップス・エクセター・アカデミーへと転校
ハーバード大学入学
2004年4月モスコヴィッツ、サベリンと3人でフェイスブックを設立
同年ハーバード大学休学
2005年ハーバード大学中退
65億円の借金
2006年にフェイスブックの原型であるハーバードコネクションというサイトがアイディアを盗用されたとして訴えてきました。
訴えたのはザッカーバーグの友人でした。
もちろんザッカーバーグは自分のオリジナルだと無実を貫きましたが盗用が認められてしまいます。
65億円の賠償金を払うか、フェイスブックを廃止するのかどちらかで示談するとなり、結局ザッカーバーグは65憶円を支払うことを選択し、借金を背負うことになります。
しかし、フェイスブックはみるみる成長していき、難なく返済してしまいました。
スティーブジョブズはメンター
起業したばかりで不安定だったころ、スティーブジョブズに会いに行ったと語っています。
ジョブズは「自分の信じるミッションと再びつながるには、インドの寺に行け。」
と助言を受けました。
実際にザッカーバーグは1か月ほどインドを旅し、ジョブズが行ったお寺などを訪れています。
後に「その時の経験が、自分たちのしていることの重要性を確信させてくれました。私はいつでも、それを忘れることはありません。」と話しています。
ザッカーバーグの年俸は有名なスティーブジョブズと同じく「1ドル」です。
年俸1ドル経営者は、自分のお金儲けに集中することなく、企業を中長期的に良い方向に導くことができます。
イメージアップにもなりますよね。
ザッカーバーグも、自社株という大きな資産があります。
この形も同じですね。
あともう一点はユニホームがあるということです。
主にTシャツとジーンズスタイルで、同じシャツを20枚持っていることも暴露しています。
投資家向けの説明会にもパーカーとジーンズで出席し、猛烈に批判されたこともあるそうです。
なぜ同じ服装にするのかという理由は両者とも同じです。
仕事以外で何かを決める回数を減らしたい。服装を考えることにエネルギーを使いたくないということです。
若いうちにいいメンターを見つけ出すことは重要なことです。
ザッカーバーグのメンターにはビルゲイツやマークアンダーセンなども名を連ねています。
ジョブズが亡くなった際に「師匠であり、友であってくれてありがとう。作るものが世界を変えることができるのだと教えてくれてありがとう。」と追悼する言葉を発表しました。
長年のパートナーと結婚
2012年に結婚したお相手は大学時代からのガールフレンドです。
【人物】
名前:プリシラ・チャン
誕生日:1985年2月24日
ハーバード大学を卒業して、理科の先生をしていましたが、その後医者を目指し、米国トップ校のメディカルスクールへ進学しました。
2012年に卒業し、小児科医になっています。
出会いはハーバード大学でした。
寮で行われたパーティーでのトイレの順番待ちで出会い、話が弾み交際へ発展しました。
ザッカーバーグの第一印象は「オタクっぽい」だったそうです。
2012年にメディカルスクール卒業式の当日ザッカーバーグの自宅庭で結婚式をあげました。
ゲストには結婚することが知らされておらず、卒業パーティーだと思い訪れたらサプライズの結婚式だったそうです。
結婚指輪はルビーとダイアモンドをあしらった指輪をザッカーバーグ自らデザインし、プレゼントしました。
そして世界を驚かせた宣言がありました。
2015年12月に女の子マキシマ・ザッカーバーグちゃんが生まれた際に子供に宛てた手紙が話題になりました。
「私たちはあなたが今の私たちよりもいい世界に育ってほしいと思う。次世代のすべての子供たちに対し、道義的責任があります。すべての人々は平等であると信じており将来はより多くの人々がいい暮らしを送ることができると信じています。私たちの社会は、今ではなく、今後の生活に投資する責任があります。」
こう綴り、「チャン・ザッカーバーグ・イニシアチブ」という慈善事業を立ち上げました。
更にザッカーバーグが保有する自社株の99%を生涯にわたって寄付することを発表しました。
2017年8月に次女オーガスト・ザッカーバーグちゃんが生まれ、家族4人穏やかな生活を送られています。
ビジョン
ザッカーバーグのビジョンは創業期から変わっていません。
フェイスブック社の企業文化と経営手法を『The Hacker Way』と定義しています。
日本ではハッカーと聞くと悪いイメージがありますが、そんなことはありません。
ホワイトハッカーというとコンピュータやインターネットに関する高度な知識を善良な目的に使う人達のことです。
ハッキングとは本当は何かを素早く作り、可能な範囲を試すといった意味だそうです。
フェイスブックは『The Hacker Way』5つの価値としてこちらが挙げられています。
・インパクトに焦点をあてる
・早く動く
・大胆であれ
・オープンであれ
・ソーシャルバリューを作れ
会社の壁には「素早い実行は完璧に勝る」と書かれているそうです。
行動しないリスクを恐れる精神が企業文化としてあるようです。
トップとしてのレッスンを受けた
2005年フェイスブックは大企業から注目されたくさん買収話を持ち掛けられていました。
そんな中ザッカーバーグが次々と他社の経営者と会うので、社員たちは会社を売るのかと不信感を募らせてしまいます。
売却の意思は全くなかったのですが、経営陣にすらその話をしなかったのです。
組織内に不穏な空気が漂い、危機的状況を迎えます。
そんな時、リクルートを担当していたロビン・リードという女性が立ち上がります。
会社が組織の危機的状況を話し、思いのたけをぶつけ、経営トップとしてのレッスンを受けるべきだ。と強く訴えました。
この日を境にザッカーバーグは変わっていきます。
コーチからレッスンを受け、経営陣と個別で話す時間を作り、全社員のミーティングの場でも考えを語り、会社を売却する意思がないことをしっかりと話しました。
他人を変えるのではなく、自分を変えることで危機的状況を乗り越えました。
トップの自己変革は、組織変革に繋がるという好例となりました。
日本でのフェイスブック
2008年に日本語化されたインターフェイスが公開されました。
当時の日本はmixi、Mobage、GREEやTwitterなど既存のSNSに押され普及が進まずフェイスブック後進国とも呼ばれました。
グローバルなネットワークというメリットが日本人にとって弱いとも言われました。
2010年にアメリカ以外では初となる海外法人facebook Japan株式会社を日本に設立しました。
代表にはYahoo!JAPAN出身の児玉太郎氏が就任しました。
国内利用者は2010年で約308万人、2011年に1000万人を超えました。
日本発のSNSよりも人気が高くなったことが多くのメディアで報道されはじめ、2015年には2500万人となりました。
広告を嫌がった
広告事業で収益をあげることに抵抗し続けました。
バナー広告がたくさん貼りついていてデザインの統一性を損なうことをとても嫌がりました。
ザッカーバーグにとっては常にユーザーの心地よい体験が優先順位のトップでした。
事業を継続させる為広告を受け入れざるを得なくなってもクライアントを慎重に選び、合わない企業はお金を積まれても断っています。
ただ総売上高の8割以上が広告収入によるものになっており、
広告の収益なくしてフェイスブックは成り立たないビジネスモデルとなっています。
インスタグラムはフェイスブックの傘下
この事実を知らない方も多いのではないでしょうか。
2018年の時点で6割の米国人がこのことを知らなかったそうです。
2012年にフェイスブック社は7憶1500万ドルでインスタグラムを買収しました。
その後Android向けのアプリの開発を手掛け、2017年の段階でアクティブユーザーは
8億人と言われています。
買収時の10倍に成長しています。
フェイスブック情報流出問題
2018年に個人情報の流出が報道され、議会から問題視されザッカーバーグが米連邦議会上院司法委員会および米連邦政府下院エネルギー及び商業対策委員会の公聴会に召喚されました。
「これは自分のミスであり、謝罪する。自分がフェイスブックを立ち上げ、経営しており、今回の事は自分に責任がある。」と謝罪したうえで、
今後は対策を強化し、ユーザーのプライバシーを保護していくと語りました。
株式市場の反応をみるとザッカーバーグはこの難局をうまく乗り越えたようです。
フェイスブック株はやや値を下げましたが、すぐに上昇に転じ当日の終値は前日から0.78%上昇で終わることになりました。
マーク・ザッカーバーグ氏の名言
「完璧であることより、まず終わらせることが重要だ」
「最大のリスクは、一切のリスクをとらないこと。非常に変化の早い世界で、唯一失敗が保証されている戦略はリスクをとらないことだ。」
「人々は、君が他人からどう言われているかなんて気にしない。もっと言うと、君がどんな事を言っているかすらどうだって良いんだ。重要なのは、君が何を成し遂げたかという事だけさ」
まとめ
いかがでしょうか。
映画の大ヒットもありアメリカでは知らない人はいないほどの有名人です。
友人から訴えられたり、借金を背負ったりもありましたが、
フェイスブックを成長させ、今では成功者の地位を確立しています。
「フェイスブックは、会社にするために作られたものではない。
世界をオープンで、より繋がったものにするという社会的ミッション達成のために作られた。」
とハーバード大学でのスピーチで公言しています。
自分の利益よりも社会や世界においてやるべきことは何かを優先して考えるザッカーバーグの考え方に、影響を受ける人も多いのではないでしょうか。
今後の活躍にも多いに期待できますね。
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